断り方 実践イメージトレーニング
http://route861.livedoor.blog/archives/8155033.html

断り方 実践イメージトレーニング(つづき)
http://route861.livedoor.blog/archives/8835302.html

「断り方 実践イメージトレーニング」の事例をさらに追加しました。

15)【高校時代】数学の夏期講習を受けたかったが、体育(水泳)の補習受講を求められ、泣く泣くキャンセル

16)【20代前半】サイクリング中にDQNな車にイチャモンつけられ、轢き殺されそうになる 

17)大地震のとき、友人・知人から安否確認メールが来て、返事に負担を感じる

18)ブログでコメント欄に間違いの指摘をされるが、文面によっては不快感が先走る


15)体育の補習を真面目に受けることです。「せっかく理数系科目への意欲や熱意が人一倍なのになぜ」という戸惑いや蟠りはありましたが、体育の単位を落とせば留年することになり、大学入試や就職を含め進路にも影響が及びます。自分の日ごろの体育の授業態度を反省・改善することが先でしょう。「苦手なりに一生懸命やる」ことです。そうすれば体育の先生の印象も良くなり、点数UPにつながるでしょう(→この経験は、先の長い人生においても役立つでしょう)。

せっかく申し込んだ数学講習も、数学科の先生に事情を話して、個別に日時を設定してもらえないか、交渉しても良かったはず(プリント・資料だけもらうことは可能でしょう)。どうしても日程が合わないなら、あきらめて独学でいきましょう。


16)その車のナンバーを控え、警察に通報することです。たとえ自転車側が交通違反を犯すとか理由があるにせよ、暴力・恫喝は立派な犯罪です。この災難を避けるためにも、無理をせず安全走行が第一です。


17)安否確認メールをくれるのは基本的に嬉しいことですが、諸々の事情あって負担を感じることもあるもの。後片付けに追われるとか、体調が悪かったり、精神的に辛かったりして、返事すら面倒と思うこともあります。気が乗らない場合は、「ありがとう。こっちは大丈夫だよ。また連絡しますね」などと簡潔に済ませると良いでしょう。


18)間違いの指摘には感謝の一言を伝え、直ちに訂正しましょう。単なる揚げ足取り、自説開陳、否定や批判だけ、意味不明な長文ほか意地悪なコメントについては、真に受けずブログ管理人の権限で粛々と処理すればよいでしょう。そもそも人様のブログに単なる否定・批判だけのコメント、本文と無関係の長ったらしい自説コメントを投稿することなど、マナー違反です(→自分でブログを開設して好きなことを書けば済む話)。



初めてJR川越線に乗車したときです。

川越線は武蔵野台地北端にあたる埼玉県の大宮と高麗川(日高市)を東西に結ぶ路線。1985年まで非電化のローカル線でキハ35系が活躍していました。

電化後、川越駅から大宮を経て埼京線に入り、東京都心(池袋・新宿方面)への直通運転が始まります(埼京線は川越線電化開業と同時開通)。現在の川越線の列車系統は中間の川越駅で分割、都心部へ乗り入れる東側区間とは対照的に、西側の川越-高麗川間は短編成の電車が行き来し、ローカル色が濃いです。終点・高麗川駅では八高線と接続、八高線の八王子まで直通運転します。

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川越線の起点・大宮 
東北・上越新幹線、東北本線・高崎線などが発着する北関東の一大ターミナル

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川越線の川越-高麗川間に使用されていた103系3000番台

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川越駅 東武東上線との共同駅
電化後、立派な郊外都市の駅舎に生まれ変わった

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的場駅

川越市は川越藩の城下町として栄え、「小江戸」と呼ばれてきました。神社・寺院・歴史的建造物が多く、文化財の数では関東地方で3位の市です。「時の鐘」をシンボルとする歴史的な町並みが人気で、鎌倉・日光と並ぶ関東有数の歴史観光都市です。


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滋賀県湖北の中心都市・長浜市。

長浜の中心市街地の歴史は、羽柴秀吉が長浜城の城下町として整備着手したことに始まります。その後、大通寺(長浜御坊)の門前町、および北国街道や琵琶湖水運の要衝として発展してきました。

そして明治維新直後、さっそく太平洋側と日本海を結ぶ幹線鉄道として、北陸本線最初の区間である長浜~敦賀間が開通、長浜は鉄道の町として栄え、北陸本線発祥の地としての歴史が刻み込まれます(その後、東海道本線との分岐点・米原に拠点が移転。長浜は北陸本線の中間駅に過ぎないポジションに低下するが・・・)。

現在、長浜の市街地は、「黒壁スクエア」と呼ばれる黒漆喰の和風建築物群を生かした観光スポットとして人気を集めています(「黒壁」の名は、旧・第百三十銀行の建物が「黒壁銀行」という愛称で親しまれれてきたことに由来。この建物が黒壁1号館こと「黒壁ガラス館」として再活用される)。平成以降、京阪神から長浜まで新快速電車一本で結ばれるようになって交通の利便性も高まり(それまで、北陸本線に新快速を直通させることは、ある理由で不可能だった)、年間200万人の観光客が訪れ、賑わいを見せます。

「長浜大手門通り商店街」は長浜の中心市街地を代表する商店街。脇に黒壁ガラス館やフィギュアミュージアムなどがあり、観光・買い物・食べ歩きが楽しめます。長浜駅から徒歩可能な範囲で、アーケードの下なので、雨でも濡れる心配は無用でしょう。

北陸本線米原-長浜-木之本間を走る「SL北びわこ号」も観光客や鉄道ファンの人気を集めてきましたが、新型コロナ災禍や車両老朽化を理由に、昨年で運行終了となったのは残念です。


京阪の有名撮影地、木津川・宇治川合流地点(石清水八幡宮-淀間)にて。

3回目の緊急事態宣言下での休日臨時減便ダイヤであり、特急車(3000系、8000系)の姿はありませんでした。せっかくのプレミアムカーもお休みです。

特急・準急とも20分に1本のダイヤで、普段に比べて列車本数は少なく、寂しかったです。秋にダイヤ改正が予定されているが、利用客大幅減に伴う減便は覚悟しないといけないですね。

コロナ第4波も一時に比べて落ち着いているようですが、夏ごろから感染力の強い「インド株」に置き換わり、日本発のパンデミックに専門家たちは警鐘を鳴らしています。それにもかかわらず五輪開催を強行するのでしょうか・・・。

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6000系特急・出町柳行き
臨時減便ダイヤでは特急も一般車で運用

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宇治川橋梁を渡る特急(上と同じ列車)を後追い

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準急・淀屋橋行き 2600系2633F

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上と同じ準急 木津川橋梁に差し掛かる
 
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準急・出町柳行き 2600系2624F!
先頭2624は旧2000系1次車体流用
昭和の無骨な京阪顔の原型を留める姿が魅力的


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北陸新幹線開通前の高岡駅・氷見線ホームにて。

氷見線にはキハ23がまだおりました。隣の留置車両はキサハ34形(七尾線電化で余剰となった12系客車からの改造)なる珍車で、ラッシュ時間帯の氷見線・城端線でキハ58系との増結専用でした。

さっそくここから氷見線を往復乗車しました。氷見線の車窓から富山湾の絶景が望めるようですが、残念ながらあまり印象に残っていません(これは勿体無いことをしてしまいました)。富山湾といえば、白えび、ホタルイカ、ブリなどが美味しいようですね。

右側の「SATY」も懐かしいですね。「SATY」は今はなきマイカルグループの店舗形態の一つでした。

1990年代半ば当時といえば、大店法の規制緩和に加え、地方での道路整備進展とモータリゼーション化に伴い、地方でも大型商業施設が席巻し始める時代。「SATY」の看板は、「ダイエー」「ジャスコ」ともども、1990年代後半以降の地方都市を象徴する一つの風景でした。2010年以降、流通業界再編に伴い、SATY・ダイエーなどはジャスコ系列のイオングループに吸収されて「イオン」に変わり、SATYも今では懐かしい風景に。イオンは往年の業界TOP・ダイエーにとって代わる存在となりました。

氷見線を往復したあと、富山から高山本線を南下して帰りました。「青春18きっぷ」での日帰り旅ですが、高山本線の普通列車は本数が少なく所要時間もかかるので、高山-美濃太田間は特急【ひだ】でワープしました。


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鳥飼大橋を行き交う大阪モノレール、空港リムジンバスなどを望遠で撮ってみました。
 


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数多くある鉄道・バスの周遊パス・フリーチケット。

割安価格で「一定範囲の路線が乗り降り自由」という特典が一般的で、「青春18きっぷ」はその代名詞と言うべき存在でしょう。中には信じられないほど広範囲に回れる破格のものもあったりします。

フリーチケットを利用するとき、一つ困るのは、乗務員・駅員にきっぷを呈示したときにもめる可能性があること。実際、そのフリーチケットの詳細を知らない現場の職員もいらっしゃるようです(さすがに「青春18きっぷ」を知らないJRの職員は殆どいないと思いますが)。私も昔、「スルッとKANSAI 3Dayチケット」で長距離の路線バスを利用したとき、運転士さんと喧嘩腰になった経験があります(結局折れて全区間の運賃を現金で払いました)。

昨年秋から発売の京都府下の周遊パスについて、地元のバス会社の一般路線全線(京都府外を含む)が利用範囲に含まれるかのように記され(本当に「全線」なのか、今ひとつわかりにくい書き方でしたが)、これはとてもお得と思いました。しかし、やはり実際にこのチケットで乗り降りするときに運転士さんと一悶着の不安もあり、別のブログにそのあたりのことを投稿しました。

すると、ある方から助言コメントをいただきました。結論は「バス会社もしくは案内所に直接問い合わせること」。

ブログやSNSでわだかまりを呟くだけでは、解決にはなりませんよね。不明な点は、チケットを購入する前に鉄道・バス会社に直接問い合わせるほうが確実でしょう。

ただ厄介なのは、チケットの発行・販売主体が利用する交通事業者でない場合。このときは、まず販売箇所の窓口に問い合わせるしかありません。

どうしてもわからないなら、利用しないのも一つの方法。

不安があるのなら、正規の運賃を支払えるよう、保険としてICカードに事前チャージしましょう。


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国鉄時代末期の山科駅にて。

湖西線の電車を待っている間、なぜか特急【雷鳥】ばかりを撮っていました。

山科駅構内の雰囲気は、当時と大きく変わっていませんね。国鉄テイストな駅名サインに時代を感じることができます。

1986年11月より、山科に新快速が停車するようになりました。


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確か京都府京丹後市網野町磯だったと思います。

子午線最北端の地から、西へ1kmほどの地点にある集落です。

網野町磯は、地形的には日本海(山陰海岸)に面し後背を山に囲まれた水際の集落。海岸段丘が発達し、民家の並びに何かしらの特徴があるように見えます。磯は静御前(しずかごぜん)とその母・磯禅師の生誕地として知られ、数々の史跡(静神社など)が残っているようです。

同じ旧・網野町でも、浜詰海水浴場や琴引浜などとは異なり、やや険しい地形の表情をしているのが興味深いです。


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大阪府営門真団地にて。

築50年以上の中層住宅が整然と並んでいます。一部住棟建て替えも進んでいました。

団地内の商店街は、まだ開いている店も多いようです。


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一昔前の地下鉄(東京メトロ)丸の内線といえば、こんなイメージでしょう。
初めて東京へ旅行したときに撮影しました。撮影地は不明です。
 


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千光寺踏切でしょうか・・・。

坂の町・尾道らしい一つの風景ですね。

地方私鉄のような雰囲気ですが、日本を代表する大動脈のJR山陽本線だけあって、貨物列車も頻繁に行き交います(かつてのように特急や寝台列車こそ走らなくなったが)。
 


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笑う門には福来る

 


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東京現実逃避の旅の最終日、JR代々木駅(山手線・総武中央緩行線)で途中下車し、代々木公園をふらりと歩いてみました。

代々木公園は明治神宮と隣接しています。神社内で何かしらの行事が行われていたようです。代々木公園は大きな森林に覆われ、明治神宮と合わせて東京ドーム27個分に匹敵するそうです。

代々木公園は、戦時中まで大日本帝国陸軍の代々木練兵場でした。敗戦後、ここはワシントンハイツ(在日米軍施設)となり、1964年東京五輪で代々木選手村として一部使用されました。その後、跡地を再整備の上、1967年に代々木公園として開園、一般市民に開放されました。

代々木といえば今も昔も若者文化の発信地。かつて「原宿ホコ天」と呼ばれる歩行者天国が開かれ、フリーマーケットやロック・バンドなどで賑わい、若者文化の情報発信基地としての地位を確立(さまざまな問題から歩行者天国はなくなったようです)。

反面、代々木公園では内ゲバやデング熱騒動など、物騒なニュースもありました。

そして現在、今夏(強行)開催が予定されている「2020東京五輪」のパブリックビューイング会場にするため、公園内の森林を伐採しようという動きもあり、また騒ぎになっているようです。新型コロナ収束の兆しも見えない中での開催は、とても歓迎される状況でないのですが・・・。

代々木公園へは、JR代々木駅よりもJR原宿駅(山手線)、地下鉄代々木公園駅(千代田線)、小田急代々木八幡駅が近いですね。もしかしたら帰りは原宿から乗ったのかもしれません。

その後、東海道本線普通列車乗り継ぎで大阪への帰途につきました。

これとは別の機会に、代々木ユースホステルで宿泊した記憶があります。代々木公園西側のところで、新宿から参宮橋までの2駅だけ小田急に乗車したものと思います。貴重な都心部のユースだったが、残念ながら9年前閉館しました。

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