広島県三原市は県の南東部に位置し、瀬戸内海に面しています。旧国名では備後国と安芸国の境目にあたり、市域の東半分が備後国、西半分が安芸国となっています。山陽新幹線・山陽本線・呉線・山陽自動車道・広島空港などの主要交通が整っており、山陽路における交通の要衝となっています。三原市域は瀬戸内海に浮かぶ島々にまで及び、海上で愛媛県今治市に隣接。

この三原市における意外なものを一つ取り上げたいと思います。

それは、中央分水嶺が三原市を通っていることです。実際、分水嶺を示す案内板(広島県設置)が三原市内の県道54号線上(三原市大和町篠)に設置されているとの報告記事

三原市で降った雨が日本海に!(小春日和の海辺の町から)
http://tadanoumitaverna.blog.fc2.com/blog-entry-83.html

があります。同地点より北側は日本海に注ぐ江の川水系、南側は瀬戸内海側の芦田川水系となります。三原市内の一部の区域で降った雨が江の川を経て日本海に注ぐということには驚きました。該当区域は旧・賀茂郡大和町で、平成の大合併で発生した不思議現象と言えます。

三原市は瀬戸内海の離島を含んで海上で四国の県に隣接し、かつ中央分水嶺を跨いで日本海側の水系に属す区域が存在するという、とてもユニークな特徴を持っていることになります。

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2019年夏の十津川・本宮・中辺路・白浜ツーリング強行軍の写真をアップします。

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JR五条駅 智弁学園の横断幕が五條の夏を実感させる
左側のスペースは阪本線(旧・国鉄バス)バス用のスペースだった

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十津川村・上野路 谷瀬の吊橋
国道168号線(十津川街道)のハイライトだ

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上野路集落を貫く国道168号旧道

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奈良交通 八木新宮特急バス
一般道のみを走る路線バスでは最長営業距離を誇る

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川湯温泉(田辺市本宮町)
川底から湧き出す温泉が魅力のようだ

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道の駅 熊野古道・中辺路

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JR白浜駅にて
関西屈指のリゾート観光地であって家族連れやカップルの観光客で賑わう

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名勝・三段壁

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白良浜海岸

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日高川に架橋する国道42号線・天田川大橋

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日高川河口を眺望

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JR湯浅駅
湯浅は醤油で有名

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紀ノ川対岸から和歌山市街地を眺望

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南海みさき公園(閉園)の観覧車
跡地は再整備中で2024年以降、動植物園や宿泊施設がオープンの予定


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新大阪駅北側を通る北方貨物線。

北方貨物線は吹田貨物ターミナルから大阪駅(梅田地区)をショートカットして尼崎駅を短絡。

新大阪駅1番ホーム(おおさか東線のりば)からズームで狙ってみました。


25年近くも昔の話ですが、日帰りで酷道157号線温見峠めぐりの旅の思い出を書きます。乗車車種は100ccのスクーターでした。大体の走行ルートは

枚方市~【R307】~彦根市~【R8・R21】~瑞穂市~本巣市~【R157】~大野市~【R476】~池田町~【R417】~越前市~【R8】~敦賀市~【R27】~小浜市~【R162】~南丹市(美山町)~京丹波町(和知町)~【R27・R9】~亀岡市~高槻市~枚方市

でした。

枚方・交野から彦根・米原など滋賀県湖東方面へは、国道307号線が快適です。大垣市まで国道8・21号線を馬鹿正直に走行したこともあるが、正直渋滞も多く、疲れるだけだったと思います。

さっそくですが、温見峠(ぬくみとうげ、標高1020m)の歴史は古く、鎌倉時代に越前府中(福井県大野市)と鎌倉を結ぶ最短ルートとして重宝され、戦国時代には美濃国または越前国へ攻め入る舞台になり、江戸時代には結城秀康が福井藩への敵の侵入を監視するために関所が設置されました。

温見峠が車道化されたのは1974年。翌年1975年、同車道が国道157号線に指定されました。現在、この道路はかの有名な国道(酷道代表格の)418号線との重複区間にもなっています。標高1000m級の豪雪地帯ゆえ、冬季通行止となります。

温見峠の岐阜県側はガードレールなしの狭隘路が続き、落石の恐れあり、洗い越しもあるなど、100番台国道とは思えない「酷道」状態です。ここをスクーターで走るのはちょっと無茶だったでしょうか?? 幸い故障もなく無事に通過できましたが。

岐阜県と福井県を直接結ぶ道路(車道)は少なく、温見峠ルートはその一つですが、これより西側を通る国道417号線の冠山トンネルが事業中で、今年中に貫通するはずです。

大野市から池田町へは国道476号線を走行したものと思います。この国道は福井県完結で敦賀市と大野市を結ぶ最短経路になるはずですが、南越前町と池田町の間に分断区間が残っています。新規指定当初、敦賀市と南越前町の間すら分断されていました。この箇所は北陸本線が長い北陸トンネルでぶち抜いているところだが、もともと山越えの難所だったようですね。北陸トンネルといえば、食堂車の火災事故を忘れてはなりません。このトンネル火災事故で多数の死傷者を出し、食堂車廃止の流れを導いた「引き金」にもなったと言えます。

池田町では先述の国道417号線と交差。417号線はまだ冠山峠を挟んで分断されている状態だが、一日も早い冠山トンネル開通が待たれます。「池田町」といえば、先日投稿した徳島県三好市池田町の珍地名「サラダ」の件も思い出してあげてください(笑)。

さて、池田町から敦賀市へ行くには、国道417号線と8号線を使うしかありません。越前市から8号線を走り、長いトンネルを抜けたあと、視界が開けて一面に日本海(越前海岸)が広がります。ちょうど「道の駅・河野」で海に沈む西日を眺めながら一服。

敦賀あたりから先、もう日が暮れたので景色を楽しめたというわけではないが、交通の流れは全体的に良く、かなり快調だったと思います。小浜・美山・亀岡経由のルートもなかなか使えるものと思います(遠回りではあるが、国道161号線を走るよりは安全・快適でしょう)。



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徳島県三好市に「サラダ」という、料理そのままのユニークな地名が存在します。

場所はJR阿波池田駅前。正式地名は「池田町サラダ」で、地図にも載っています。

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阿波池田駅構内が「池田町サラダ」に入っており、また「池田町サラダ」という名前の交差点が存在します。

気になる「サラダ」という町名の由来。地区が皿のような地形をしているから「皿田」と名づけられた説と、周囲が更地の水田だったことから「更田」と名づけられた説があります。

三好市の旧池田町には、なぜかカタカナの町名が多く、「サラダ」のほかに「ハヤシ」「トウリン」「ヤマダ」などが存在します。

阿波池田駅はJR土讃線の主要駅で、徳島線に接続(徳島線は阿波池田と徳島を結ぶ路線だが、書類上の区間は佃-佐古間。阿波池田-佃間は土讃線を走行する)。大歩危・祖谷地区への観光の玄関口であり、甲子園出場校でも有名です。


2018~19年当時の「うめきた」にて。ここ4・5年の間に大きく変わったことでしょう。梅田貨物線は地下化されたばかりです。今月半ば、この付近に地下ホーム(大阪駅)が開業、【はるか】【くろしお】のほかおおさか東線の電車が止まります。なお、阪急バス(加島線)は3年前に廃止されました。

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よく家の固定電話にセールス電話がかかってきます。最近、特に多いのは「リサイクルショップ」を名乗るお店。「壊れたカメラ、ミシン、使わなくなったゴルフクラブ、おもちゃはありませんか?」という類ですね。

正直、迷惑と感じます。その度に断りの一言を伝えるんだけど、なかなかうまく言えないし、たまにしつこく食い下がってくるところもある。われながら歯がゆくなります。リサイクルショップ・不用品回収の電話を一発でスマートに断れないものでしょうか?

セールス電話の断り方については、多くの方がネットでアップされているが、いざ実践するとなればなかなかうまくいかないですね。人様の作った脚本・マニュアルをそのまま棒読みしても相手に伝わらない、はよく指摘されるところでしょう。ここは、自分の方法を考えて言語化したほうがよさそうだと思い、記事にまとめてみました。

さっそく、一つ良いアイデアが思いつきました。

ヤフオク・メルカリに出品していますので

はどうでしょうか? これなら、相手はこれ以上食い下がってこないでしょう。ただ、「アカウントを教えて」などと粘られる可能性は考えられます。そう来たら、「個人情報なので教えることはできません」とでも返したらよいのでしょうか?

あまりにしつこい場合は、「これ以上しつこいようでしたら、警察をお呼びします」と強く言ってもよいと思います。


静岡県には「清水」という名前の自治体が2つ存在します。

静岡市清水区(旧・清水市)と駿東郡清水町。これら2つは混同されそうですが、全然違う場所です。 後者の駿東郡清水町について調べてみました。

清水町は県の東部、伊豆半島の付け根に位置し、沼津市、三島市、長泉町に囲まれた内陸の小さい町。面積8.8平方キロメートル。旧国名では駿河に属し、伊豆との境目付近にあたります。町内を流れる川は狩野川と支流の柿田川。鉄道はJR東海道本線が北西端を少し掠る程度で、町内に駅はありません。清水町への最寄り駅はJR御殿場線・大岡駅(沼津市)、伊豆箱根電鉄・三島広小路駅(三島市)。主な道路は、国道1号線(三島バイパス)が町内を東西に貫きます。

清水町は沼津市と三島市に挟まれた位置にあって、両市のベッドタウンとして多くの住宅地を擁しています。また、主要幹線道路のアクセスの良さから、工場や運輸会社の本社・営業所が多いのも特徴的でしょう。そして、稲作・林業・酒造も盛んで、地酒「大湧水」が有名です。

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門真市の免許試験場前に新しいベーカリーショップができていました。

お店の名前は「SUMOMO BAKARY」。九州の人気ベーカリー(本店・宮崎県)で、関西では第1号店のようです(昨年秋オープンしたとのこと)。メインのパンは、All 120円(税抜き、一部商品除く)で、とても嬉しいです。試験場に用事のある人には朗報でしょう。

ちなみに、試験場内の食堂・売店で販売されている包装パンは150円前後で、割高感がありますね。


大阪市西淀川区の気になる場所を一つ。

それは「佃」(つくだ)という、変わった地名です。佃地域は神崎川と左門殿川に挟まれた、島状もしくは中洲の地形です。左門殿川がちょうど大阪府(大阪市西淀川区)・兵庫県(尼崎市)の境界にあたります。

佃地域を通る鉄道は、阪神本線・なんば線。阪神本線の千船駅が地域唯一の駅です(なんば線のほうは、神崎川の対岸に面して出来島駅があります)。国道は阪神間の大動脈2号線・43号線、そして阪神高速神戸線が通っています。かつて、国道2号線(阪神国道)上には阪神の路面電車が走っていました。また、JR東西線・御幣島駅(歌島橋交差点)から国道2号線を神戸方(神崎大橋)へ向かって、500mの位置にあります。

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さて、気になる「佃」という地名の由来ですが、それは平安時代ごろからの地名のようで、「古くは田蓑(たみの)島と称し、貞観年間、佃に改めたと伝え、佃氏をはじめ17軒の開発による」(西成区史)とされます。「佃」という漢字は「人偏に田」が示すとおり、田を作る職人のことで「つくりだ」が訛ったものと言われます。

佃地区北東部には田蓑神社が鎮座します。田蓑神社は佃漁民ゆかりの地とされます。社伝によると、神功皇后が朝鮮出兵の帰途に当地を訪れ、佃島の海女(漁民)が白魚を献上し、その海士を奉ったのが興りとされます。時代が下がって、徳川家康が住吉大社にお参りしたあと、猪名川沿いの多田神社(兵庫県川西市)へ参拝しようとした途上で船がなくて困り、見かねた佃漁民が船を出したと伝えられます。その功績が認められて、のちに江戸の隅田川河口の中洲(東京都中央区)に約30世帯が移住し、「佃島」と名づけられたそうです。

「佃煮」というおなじみの食べ物は、江戸の佃島が発祥。隅田川の河口で獲れる小魚を塩や醤油に漬けてた保存食ですが、作ったのは西淀川の佃漁民だったのです。

佃地区には町工場が多く集積しています。市立佃中学校は、溝口歯車工場跡地で戦時中は軍需工場でした。この軍需工場があったため、昭和20年(1945年)佃地区が空襲直撃に見舞われた悲惨な出来事を忘れてはなりません。


西淀川に「島」の町名が多い訳 佃・大和田の由来と空襲
(大阪府保険医協会 先人の足跡をだどる No.134)

https://osaka-hk.org/posts/senjin134

佃住民ゆかりの地と公害から自然の町へ再生
(大阪府保険医協会 先人の足跡をだどる No.135)

https://osaka-hk.org/posts/senjin135

田蓑神社公式ホームページ
https://www.tamino-jinja.com/index.html



私が10代終わり頃の夏のある日、自転車で福知山まで日帰り強行軍の旅に出ました。 

走行距離は200kmを上回り、1日の走行記録としては過去最高でした。乗車車種はMTB。

当日の走行経路は、

枚方市~淀~洛西ニュータウン~(R9)~福知山市(福知山駅)~(京都r8)~綾部市~(R27)~京丹波町~(R9)~洛西ニュータウン~淀~枚方市

でした。朝未明(3~4時ごろ)に家を出発、旧1号線(京都守口線)を北へ進み、淀(納所)で桂川を渡って長岡京・向日市を経て洛西ニュータウン。ここから国道9号線を一路、福知山市まで走り抜きます。起伏やカーブの多い道路だが、亀岡駅前やドライブインやまがたなどで休憩を取りつつ、遅くとも正午までに福知山市内にたどり着き、福知山駅前に半ゴールイン。

当日の天気は晴れで残暑が厳しかったと思います。この年の夏はやや天候不順気味で、8月上・中旬はあまりはっきしりない夏空が続きました。

今はなき福知山の駅弁を買って昼食。夜行の急行【だいせん】が廃止される直前まで、福知山の駅弁立ち売りが残っていたようです。ホーム上には立ち食いの「大江山鬼そば」もありましたね。駅前の商店街も賑やかで、さとうやイズミヤもありました。もちろん、高架化前の話です。

一息ついて、福知山城跡公園に寄りました。城跡から由良川を渡る山陰本線をしばし眺めました。キハ58系のエンジン音(DMH17H)などが響いてきました。

帰りは綾部市街地から国道27号線経由のルートを取りました。福知山・綾部市内では(旧)京都交通の古いバスが多く活躍しており、地元で見慣れた感のある車両(元・京阪バス)に遭遇したときはびっくり。

旧・和知町(京丹波町)から先は、既に自転車で制覇済みのルート(そのとき、周山・美山を回った)でした。9号線との合流地点、ドライブインやまがたで休憩しました。ドライブインやまがたは、残念ながら3年前に閉店。京阪神~丹後・若狭方面へのドライブ・ツーリングやバスツアーで立ち寄ったという方も多いでしょう。

行きは結構快調だったが、帰りは猛暑も手伝ってヘトヘト、往路の倍近く所要時間がかかったと思います。思えば、この頃が、自分の自転車遠征行動のピークだったようです。その後、しばらくしてせっかくのMTBにもあまり乗らなくなり、体力低下や運動不足を嘆くようになります。これも、遠乗りにこだわりすぎた「ツケ」なのでしょうか・・・。


新潟県と富山県を跨ぐ唯一の県道、115号線【上路市振停車場線】。

新潟県の最西端にあたります。新潟県糸魚川市の山間部(上路集落)を起点とし、富山県朝日町を経て再び新潟県に戻る、面白い県道です。終点は市振駅前(あいの風とやま鉄道、えちごトキめき鉄道)です。終点付近は国道8号線と重複、日本海に面します。

上路集落は「山姨伝説」で知られ、豊かな自然が残っています。新潟県の飛び地的集落で、県内各地へ往来する場合、地図上では県道115号線を走って富山県を経由するしかないように見えます。ただ、かつて北国街道(国道8号線)の最大の難所・親不知が通行不能になったとき、この上路経由のルートが迂回路として用いられていたとのことで、上路地区から林道を通って日本海に面する(糸魚川市)青海地区へも抜けれるようです。

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久しぶりに神戸屋の包装パンを買いました。

神戸屋は関西に拠点をおく老舗製パンメーカー。包装パンのほか、ベーカリーチェーンやレストランチェーンを展開してきたが、包装パンのシェアは大手3社(山崎、フジパン、パスコ)に遠く及ばず、撤退(山崎製パンに買収)が決まっています。神戸屋は今後、フレッシュベーカリー・レストラン事業に専念するとのこと。山崎製パンへの買収後も、当面の間、包装パンは「神戸屋」のブランドで製造販売を続けるそうです。

近くのスーパーで神戸屋の包装菓子パンが安売りしていたので、久しぶりに買ってみました。

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私個人的に神戸屋の包装パンは、なかなか好きです。神戸屋の包装パンといえば、「サンミー」という菓子パンを忘れてはなりませんね。阪神タイガースを思わせる虎模様のチョコが特徴のベストセラー商品で、関西名物です。


先日、兵庫県北部(養父市ほか)の「ハチ高原」に関する記事を投稿しました。
http://route861.livedoor.blog/archives/20645532.html

「鉢伏山」という名の山は全国各地に多く分布しており、兵庫県内にも同じ「鉢伏山」が複数存在します。今回、神戸市須磨区の「鉢伏山」について書きたいと思います。

須磨の鉢伏山は標高246m。隣の旗振山(252m)、鉄拐山(236m)とともに、須磨浦公園内に聳え、山頂付近には須磨浦山上遊園があります。須磨浦公園駅前からハイキングコースが整備されているほか、ロープウェイで登ることもできます。周辺は源平合戦の一ノ谷古戦場としても知られています。山頂からは須磨海岸が展望できます。全長56kmの東西に連なる六甲全山縦走路の最初の山です。

「鉢伏山」という名の由来は、神功皇后が朝鮮遠征の帰路、この山頂に兜の鉢を埋めたことによると言われています。同様の伝説は、六甲山縦走路の東側に位置する甲山(西宮市)にもあります。

須磨区と垂水区との境界付近にあたり、区境はちょうど旧・摂津国と播磨国との境目でもあります。

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須磨海岸から須磨浦公園・鉢伏山を望む

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大阪府枚方市中宮北町の禁野保育園前(市立ひらかた病院の東)に建つ「殉職記念碑」。

かつて明治~昭和初期の時代、枚方市禁野・中宮地域一帯には禁野火薬庫があり、武器や弾薬が収蔵されていました。

禁野火薬庫は1939年(昭和14年)3月1日14時45分、第15号倉庫で砲弾を解体中に大爆発を起こし、火薬庫と周辺の住民に甚大な被害をもたらしました。大爆発は2日間にわたって続き、軍人・民間人を含む死者は100人近くにのぼり、家屋の全半焼は821戸、被災世帯4425世帯、および多数の負傷者を出す大惨事となりました。

火薬庫の大爆発による消火活動などで殉職した消防関係者16名を追悼するために、この「殉職記念碑」が1965年(昭和40年)3月1日に建立されました。

禁野火薬庫大爆発から50年目の1989年(平成元年)3月1日、枚方市は「3月1日」を「枚方市平和の日」と制定しました。

なお、「禁野」という地名の由来は、「一般人が狩猟を禁じられた場所」と伝えられています。平安時代、この辺りはは皇族が狩を楽しむ場所だったと言われています。

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