ずっと以前から考え込んでいるんだが、大阪府内に「文学部」のある大学は少ないのではないかという気がしています。「文学部」のある大学といえば、隣の京都府や兵庫県のほうに多くて羨ましい、と勝手に思い込み、ある種の変な「コンプレックス」みたいなものを抱えてた頃があります。

実際、大阪府下に「文学部」の設置されている大学はどれだけ存在するのか、調べてみました。出典は、

https://shingakunet.com/searchList/ksl_daitan/ksm_12/area_kansai/ken_27/?af=2

で、以下が挙げられます。

大阪大学
大阪市立大学
関西大学
大阪大谷大学

ぐらいでしょうか。しかし、日本で二番目規模の都市であって、こんなにも少ないとはびっくりです。「文学部」と同類の「人文学部」「文芸学部」なども含めると、 もう少し増えますが(近畿大学ほか)。それでも、大都市圏に属する他の都府県(東京・愛知・京都・兵庫ほか)に比べて非常に少ないことには変わらないでしょう。

私個人的に気になるのは、都構想と連動した大阪市立大学と大阪府立大学の統合の動き。府立大は主に理系学部(工学系、生命環境科学、地域保健など。旧工・農・社会福祉・経済学部ほか)中心の実学志向、市立大は理系・文系がバランスよく配された総合大学で、特に文系学部(法・経済・商・文)と医学部が強いように見えます。大学統合により、市立大の特に文系学部が切り捨てられるのではないか、と懸念や不安が根強いようで、私もそれが心配です。

今こそ、従来の理系・文系の枠組みを超え、学際性重視の「教養学部」系の復活が望まれるところでしょう。従来の「文学部」は、文学や歴史の好きな人が行くところというイメージが強く、国語が苦手だという人間には敷居が高いように感じられます。理系出身で高校までの国語は得意ではなかったけど、文学・哲学・歴史などを勉強し直したいと熱意ある社会人などにも、大学で人文科学をはじめ幅広い教養(リベラルアーツ)を学び直す機会がもっと広く開かれるべきで、その需要に応じるに最適といえるのは「教養学部」でしょう。

どうも平成の30年間、日本の大学が全体的に職業と直結する実学実利志向に偏重、実用と縁が薄いと見られる文学・歴史・哲学などが片隅に追いやられる反知性主義の傾向が強まり、その影響が人間文化や地域社会の荒廃、戦後民主主義の危機、種々の社会病理現象に顕現化していると感じます。バブル崩壊により、昭和日本の誇るべき財産である「一億総中流社会」が切り崩され、特に「痛みを伴う構造改革」「グローバル化」を謳う小泉・竹中の台頭以降、「もうけ第一」の規制緩和や民営化が目白押し、特に非正規雇用の拡大・常態化で経済格差・貧困が凄まじく加速化し、庶民は青息吐息。「今だけ・金だけ・自分だけ」の歪な考え方が社会全体に蔓延、アベノミクスを経て現在に至ります。第2次安倍政権7年間にわたる、露骨なまでの国会民主主義無視・独裁政治は、戦後の民主主義体制はおろか、戦前の大日本帝国憲法体制でさえも経験がないのではと思うほど、悲憤慷慨です。

政治・経済のことに逸れてしまいましたが、「教養学部」は、今も東京大学駒場キャンパスに健在です。日本トップの大学と位置づけられる東京大学ですが、よくメディアやSNS等で、「東大出身の政治家・官僚はダメだ」「東大の世界的評価が落ちた」などのネガキャンを見かけます。しかし、教養教育を大切に守る東京大学の精神は、もっと前向きに評価されて良いでしょう。