実を言うと、私は中学1年のとき、誰かに囃されて学級委員に立候補しかけたことがあります。

学級委員とはクラスのリーダーであり、クラス全体をまとめるのが仕事。その責任は重大で、単なる「目立ちたがり屋」では務まるものでないでしょう。

私自身などとても学級委員の器ではないが、入学して間もない頃、なぜかクラスメートにおだてられることが多かったです。さらに学級委員への立候補まで囃され、「目立ちたがり屋」なところもある自分も、これは悪い話じゃないと思って乗りました。

しかし、HR担任の先生には「本当に大丈夫なの」と心配され、両親とは徹夜で論議になるなど、いろいろと面倒なことに。

結局、学級委員は自分には無理だということで、立候補を断念。

当時、クラスの大勢におだてられ「俺って人気者?」と調子に乗っていたが、とんでもない勘違いでした。この学級委員立候補の件で作った瑕疵が、のちに「いじめ」で苦しめられる一つの遠因だったと思われます。

そもそも自分は学級委員に立候補すべきでなかった。学級委員になるには、クラスの大多数の支持が必要で、リーダーとしてみんなの意見を聴いて調整し全体をまとめる能力が要求され、その責任は重いです。

「目立ちたい」のなら、他にできることがあるはずです。

自分に相応しいと思う役員を買って出る、日課の掃除を真面目にやる、明るい声で挨拶する、人を思いやり助け合う、何よりも勉強で良い点数を取る(苦手な体育なども一生懸命やる)。一見地味なことばかりですが、これらの日々の積み重ねを通じて、徳のある人間に成長し、良い意味で注目されるようになるでしょう。裏方に徹するのも全然悪くないでしょう。

高校の文化祭、大学の学園祭の実行委員会に買って出たのも、やはり「目立ちたがり」な動機も含まれていたようです。それも中途半端な努力に終わったことは重大な反省点です。高校・大学を通じて、勉強も部活もバイトも遊びも何もかも中途半端だったことは、とても不満でした(本業である勉強は一生懸命頑張ったつもりですが)。

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要は学級委員に限らず、組織のリーダーは楽でないということ(ゆるゆるの同好会的なモノは別でしょう)。自分の思いつきでほしいままに運営するなら誰でもできます。しかし、それでは人心は離れてゆくばかり。当の本人もやがて疲弊・消耗するでしょう。一番厄介なのは、「何をやっていいのかわからない」こと。上に立つ者は、メンバーの思いに寄り添い、共に励み成長するよう、率先して徳を積む修行が必要ですね。