カテゴリ:街角点描【建物・町並み・景観】 > 寺社・史跡・文化財・歴史的建造物・信仰スポット


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伊勢二見浦を代表する心霊スポット、夫婦岩。

撮影当日、シーズンオフの一人旅で、人影もほとんどなく寂しかったです(笑) でも、それが良かったと思います。一番の目的は、紀勢本線・参宮線のキハ58系に乗ることでした。

二見浦は日本初の海水浴場のようで、大正天皇もここで泳いだと言われています。

実は小学校の修学旅行の時にもここを訪れ、1泊しました。

二見浦へは伊勢市から国鉄参宮線に乗車(伊勢市までは近鉄特急です)。確か夫婦岩パラダイスという水族館を見学したあと、潮干狩りを楽しみました。翌朝、二見浦から再び参宮線に乗って鳥羽へ。ミキモト真珠島や「ぶらじる丸」などを巡ったと記憶しています。その後、近鉄特急で帰路につきました。

二見浦の名物に「御福餅」があります。赤福餅とパッケージも含め、姿かたちは酷似しています(あんは赤福のほうがあっさりしている印象が)。ちなみに赤福の夏季限定メニュー・赤福氷(かき氷の底に赤福餅が入ってるもの)は、もともと二見浦の海水浴客のために開発したものだそうです。


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京都府木津川市山城町上狛にある泉橋寺(せんきょうじ)。

行基が建てた四十九院の一つで、天平12年(740年)に開かれた発菩薩院(ほつぼさついん)、隆福尼院(りゅうふくにいん)を前身とする寺院です。

この寺の見どころは石の地蔵。高さ4.58mあり日本一の石地蔵として有名です。可愛いですね。徳治3年(1308年)に造られたが、応仁の乱で焼かれ、元禄年間に復元したと伝えられます。

泉橋寺は国道24号線・泉大橋北詰近くにあります。木津川に架橋される泉大橋は古くから京都と奈良を結ぶ交通の命綱とされてきました。大雨の度に橋が流されてしばしば交通寸断で人々は苦しめられ、その救済のために行基が泉橋寺を建て、人馬を運ぶ船三隻が備えられていたようですね。

ここを訪問したのは15年以上昔のこと。当時、「現実逃避」なども兼ねて、よく南山城方面へ出没していました。何気にふらりと寄ってみたが、一度訪れたきりで完全に忘れてしまっていました。

「上狛(かみこま)」という地名ですが、高句麗渡来の狛氏の住み着いた地に由来します。JR奈良線にもこの駅名が存在します。


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大阪府寝屋川市の成田山不動尊(成田山大阪別院)。

成田山不動尊は京阪沿線を代表する初詣スポットの一つ。正月には京阪香里園駅からシャトルバスが運行されています。

毎年、初詣のシーズンになると、成田山の表門には2本の巨大門松が登場。高さ13m、重さも13㌧あり開運大門松と呼ばれています。左側は男性を表す「黒松」、右側は女性を表す「赤松」で、2本の松は夫婦和合を象徴。また高さ・重さの「13」という数には縁起を込めた意味があり、片方の門松に立つ13本の竹は家族円満を表すそうです(西洋では「13」という数字は縁起の悪い数とされるが、日本は違うみたいですね)。


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新型コロナ「第3波」が日本列島を襲う中、疫病終息の祈願に高槻・野見神社へお参りしてきました。

高槻城跡の隣に鎮座しており、境内には高槻えびす神社が併設されているみたいですね。

野見神社は、平安時代の宇多天皇の頃に流行っていた疫病を鎮めたと伝えられ、城下町・高槻の守護と開運の神社として崇敬を集めてきました。

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手水舎のお花が素敵ですね! 四季折々のお花を生けているそうで、遊び心に魅惑されますね。
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近隣には城跡公園、高槻現代劇場、高槻キリスト教会があり、高山右近のゆかりの信仰心の集まる城下町として栄えてきたことを感じます。

阪急高槻市駅から南へ徒歩15分ほどの場所にあります。参詣帰りには、駅前の城北町商店街で美味いものを味わうのも良いでしょう。


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四天王寺(大阪市天王寺区)の転法輪(てんぽうりん)。

何かのハンドルに見えますね。

法輪は、お釈迦様の教えが他に転じて伝わるのを輪にたとえたもので、仏教の象徴とされます。

合掌し、「自浄其意(じじょうごい)」と唱えて、(ハンドルと同じように)軽く右に回します。



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京阪萱島駅の高架下に鎮座するユニークな神社、萱島神社。

萱島神社といえば大楠が有名でしょう。境内にどっしり根を据える楠木は、萱島駅のホーム(大阪方面ゆきのりば)を突き抜けているんです。

高架工事に合わせ神社の上に駅が建設されることになったとき、大楠は地元の熱心な要請により、駅のホームに取り込む形で残されました。太古の自然と現代建築物との共生の一例と言えるでしょう。大阪府みどりの百選にも選ばれています。

萱島駅といえば、淀屋橋・中之島からの普通・区間急行の折り返しで、寝屋川市・枚方市方面へ向かう乗客には乗り換えの煩わしさを感じることもあると思うが、待ち合わせの時間を利用して大楠を見物するのも良いでしょう。できれば、ぜひ萱島で下車してみたいものです。

萱島駅高架下のうどん屋さん「つうつう」は、安くて美味しいのでおススメです。


京都市左京区百万遍東側の一画に鎮座する知恩寺。百万遍交差点から今出川通を東(銀閣寺方面)に入ってすぐのところです。京都大学の学生街であり、通りには古本屋や食堂・喫茶店が並んでいます。

知恩寺は法然開祖の浄土宗七大本山のお寺。東山区祇園の「知恩院」と間違いやすいゆえ、宗教法人としての正式名称を「百万遍知恩寺」に改称されたそうです。

「百万遍」という地名は、念仏百万遍に由来するとされます。室町元弘の時代、京都に疫病が蔓延し、後醍醐天皇の勅により空円が念仏百万遍を行い疫病を収束させた、と言われます。

知恩寺といえば、手づくり市や古本まつりでしょう。かなり昔の画像ですが、知恩寺に寄ってみたとき、古本まつりの片付け中だったようです。

同じ読みの名前の寺として、上京区の「三時知恩寺」、宮津・天橋立の「智恩寺」が存在するが、全て京都府内に集中しており、混同しやすいですね。

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京都西陣の一角にある千本ゑんま堂(引接寺)。

千本通の商店街に面しており、いわば閻魔(えんま)法王をご本尊としている珍しいお寺ですね。

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閻魔様といえば、「嘘つきは舌を抜く」と子どもの頃に教えられた言葉を連想されるかもしれません。確かに怖いお顔で地獄の支配者というイメージでしょう。しかし、閻魔様は実は私たちに最も身近な仏様なのです。この世とあの世の間、地獄と極楽の間にいる裁判官で、人間界を見守ってくださっているのだとか。

千本ゑんま堂には、「あの世とこの世が交わるところ」という縁起があります。時は西暦850年ごろ。平安京造営から50年ほどですね。現在の西陣付近にあたる朱雀大路の北側は平安京三大葬送地の一つ、「蓮台野(れんだいの)」と呼ばれ、死屍累々の光景が広がっていたと言われます(当時、一般庶民には墓はなく、死骸は地で野ざらしにされるしかなかった)。

百人一首にも登場する小野篁(おののたかむら)は、この凄惨な状態を憂い、昼はこの世で朝廷に、夜はあの世で閻魔法王に仕えていたと伝えられています。篁卿が閻魔法王の姿を刻み建立したしたのが、この「ゑんま堂」の起こりと言われます。
 
「千本」という地名の由来も、このゑんま堂との関連性が深く、死骸を葬った際に建立された石仏や卒塔婆が何本も無数にあったことによるものとされています。

千本ゑんま堂への交通アクセスは、市バス「千本鞍馬口」下車すぐ。周辺には船岡山や船岡温泉などの見どころがあります。


高槻市上土室にユニークな史跡公園があります。

それは、史跡新池ハニワ工場公園。高層マンション群の一画に再現された古代のハニワ工房と窯跡で、現代の都市文明と古代文明が隣り合わせの異次元空間ですね。高槻・茨木を中心とする北摂三島地域は、継体天皇陵をはじめ古墳が多く点在しており、古代史の一つの舞台として注目を集めています。

公園内では、マンガ陶板や復元ハニワ、そしてハニワ工場館(長い半円柱の建物)を通して古墳時代の歴史を楽しく学べるようになっています。

交通手段は高槻市営バス「上土室」下車(JR富田駅から発着)。

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京都市山科・醍醐エリアの紅葉スポットを集めてみました。

山科・醍醐エリアは比較的空いているようなので、訪れてみてはいかがでしょうか?

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滋賀県近江八幡市小田町の国道477号線に面する「小田神社」。

鳥居の前でいささか不自然なカーブをしており、何気に目を惹く光景ですね。

小田町は日野川右岸の平地であり、周りは田畑の一面に広がります。集落内には織田信長の侍女おなべの屋敷跡、そばにはおなべ松と呼ばれる松の木があり、信長ゆかりの地でもあります。

国道477号線もかなり整備改良が進んではいるが、近江八幡~野洲~守山市あたりでは狭隘区間も随所に残り、ややジグザグ迷走ルートを走らされ、依然としてカオスですね。



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鳥取市東部、山陰海岸の岬に鎮座する岩戸神社。

鳥取砂丘から東へ数キロの位置にあります。

昨年のGWにここへ寄ってみました。鳥取砂丘の大混雑とは対照的に、岩戸地区は人影もまばらでした。

このあたりは山陰海岸の景観を特徴づける安山岩の柱状節理が見られるそうです。


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上町台地北部の高台に広がる難波宮跡公園(大阪市中央区法円坂)。

中央大通りを挟んで大阪城の向かい(南側)です。

周りはビルやマンション、病院・庁舎の建物が目立つ中、ゆったり広々とした原っぱと木々に癒されます。

公園の向こう側に大阪城天守閣も望めます。
 


京都市北区平野に鎮座する平野神社

平野神社の起源は奈良時代末期の延暦元年(782年)とされるそうです。『続日本記』に「田村後宮の今木大神の従四位を授ける」とあり、平城京の宮中(桓武天皇の父・光仁天皇の御所)に祀られていたとされます。

794年(延暦13年)平安京遷都と同時に遷座。朝廷も崇敬され、度々行幸されました。のちに源氏・平家の氏神となります。現在の社殿は寛永年間(1624~44)の造営で、平野造と呼ばれ、本殿は重要文化財に指定。

平野神社といえば、魁(さきがけ)桜で有名。魁桜は平野神社発祥の桜で早咲きの品種。この桜が咲き出すと京のお花見が始まると言われています。

2018年台風21号の被害により拝殿の倒壊をはじめ、数十本の桜が倒木するなど甚大な被害に見舞われたそうです。復興へのご支援を呼びかけておられます。

平野神社へは京都市バス「衣笠校前」下車北へ徒歩3分です。北野天満宮の西側に隣接しており、金閣寺や立命館大学からも近いロケーションです。

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京都府八幡市の松花堂庭園・美術館

山城国八幡は松花堂昭乗(1582-1639)ゆかりの地。昭乗は石清水八幡宮の社僧となり、風雅を愛で、書道・絵画・茶道において幾多の優れた作品を残し、江戸時代初期の芸術文化の開花に大きな役割を果たしました。

「松花堂弁当」はお弁当や日本料理でお馴染みでしょう。松花堂弁当は四つ切箱の器に盛り付けられたお弁当ですね。その名は松花堂昭乗の好んだ四つ切り箱が器に由来するとされ、八幡が発祥地です(「松花堂弁当」が考案されたのは昭和初期)。昭乗は箱の内側を十字に仕切った器をヒントに、茶会で使う煙草盆や絵の具箱として使用されていたようです。

松花堂庭園内にある京都吉兆さんでは、松花堂弁当と茶懐石メニューが楽しめます。

また、庭園内の茶室で定例的にお茶会や日曜茶席も開催中。「お茶の京都」観光スポットの一つにもなっています。

松花堂庭園・美術館へは、京阪樟葉駅または石清水八幡宮駅から京阪バス「大芝・松花堂前」下車すぐ。

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京都府長岡京市、天王山西側の静謐な境地に佇む柳谷観音。

柳谷観音は、眼病平癒の祈願所として、平安時代より人々に信仰を集めてきました。「西の清水」とも謳われ、天皇家と深い縁のある寺院で、歴代天皇も祈りを捧げたご利益寺でもあります。

高槻市と長岡京市・伏見区を結ぶ京都/大阪r79の沿線にあって、交通の不便な場所ですが(阪急長岡天神・西山天王山駅、JR長岡京駅から徒歩またはタクシー)、毎月17日には駅から送迎シャトルバスがあります。 春は竹の子掘り、秋は紅葉狩りとともに楽しみながら、ハイキングするのも良いでしょう。


京都・船岡山の南麓にある船岡温泉

この辺りは西陣と呼ばれる町であり、船岡温泉はいわゆる町の銭湯ですが、国登録の有形文化財に指定されています。

船岡温泉は大正年間、木造2階建ての料理旅館「船岡楼」の付属浴場と営業開始したことに始まります。当時は温泉の出なかった京都で何とか「温泉」の許可を取ろうと、1933年に日本で初めての電気風呂を導入し、「特殊船岡温泉」として許可をもらったとのこと。

いかにも料理旅館の雰囲気で少し敷居が高いと感じなくもないが、入浴料は大人430円で誰でも気軽に入りやすそうですね。

周辺には金閣寺、大徳寺、北野天満宮、平野神社、その他観光名所が多数存在します。

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滋賀県甲賀市水口町。

水口は甲賀市の中心市街地であり、東海道の宿場町として栄えました。東海道五十三次の50番目の宿場です。

現在も東海道を引き継ぐ国道1号線が水口町を通ります。枚方市から京田辺・信楽・八日市経由で彦根を結ぶ国道307号線も通っており、大阪北東部や京都南部から湖南・湖東への快適なドライブルートに活用されています。また、近江鉄道というローカル私鉄も水口を通り、貴生川と彦根・米原を結んでいます。

水口町の中心にある町、綾野にて(2014年何気なく訪問)。

綾野には「綾野天満宮」が鎮座。901年、菅原道真の第5子・菅原淳茂が美濃部(水口)の荘園に寄寓の時、道真公の木造を彫って祀ったのが始まりと伝えられます。

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滋賀県東近江市の旧・八日市市街地西側に聳える、不思議な形の山。

太郎坊山(赤神山)と呼ばれているそうで、地元では「太郎坊さん」で親しまれています。標高350mの小さな山ですが、岩峰の巨岩が特徴で、心霊的魅力をそそられますね。太郎坊山には太郎坊宮と呼ばれる神社が鎮座しており、神宿る霊山として、古代より多くの人々に崇拝されてきました。聖徳太子、最澄、源義経らが参詣されたと伝えられ、この霊山で修行する修験者が多く現われます。

2016年4月に訪問しました。

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大津市瀬田の萱野神社。

JR東海道本線瀬田駅の北口に鎮座しています。

御祭神は開化天皇。

彦坐王命の第四世に当たる治田連が、淡海(近江)の国造としてこの地に居住し、栗太一円の墾田開拓事業に当たり、土地の開発と人民の生息の基を開き、雄略天皇六年治田一族の遠い先祖となる開化天皇の神霊を祀ったのが、萱野神社の創始とされます。

かつて、萱野神社は広大な境内敷地と森林を有していたそうだが、明治期の国鉄東海道本線の敷設により境内地は二分。さらに1969年の複々線化工事と瀬田駅の新設に伴い、境内地はいっそうの縮小を強いられ、森林は瀬田駅前広場(南口)となり、昔日の面影が失われ、今日の姿となりました。

瀬田駅は龍谷大学瀬田キャンパスおよび滋賀医大の最寄り駅であるため、隣の南草津駅(立命館大学びわこ・くさつキャンパス)とともに、学生たちで賑わいます。なお、瀬田駅には新快速は停車しないので注意(昔、草津線直通の客車列車は瀬田駅通過だったが、国鉄時代末期には停車するようになる)。

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