カテゴリ: 本の紹介


久しぶりに本を1冊紹介したいと思います。

蛯子能収(えびこよしかず) 『ひとりぼっちを笑うな』

「ぼっち」を好む人には、手にとってお読み頂ければと思いました。

よく「孤独」「ぼっち」は「負け組」とされる嫌いがあります。私も昔、「友達がいない」「モテない」などと嘆き散らすことがありました。しかし、実のところ、もともと自分は「ぼっち」「孤独」のほうが好きだったようです。仲間に誘われるよりも、自分のやりたいことがある。それは何も悪いことではないでしょう。実際、「ぼっち」「ひとり遊び」が好きだという人は、想像以上に多いようですね。

「つながり」「人付き合い」「絆」だとかと喧伝し、やたら群れたがる人も多いですが、われわれそんな世間の「孤独=負け組」の呪縛にかかっているのかもしれません。

「つながり」「絆」はもちろん良いことでしょう。しかし、「孤独」「ぼっち」にも良さがあると思います。

私も今まで「つながり」の中に入っていこうと、いろんな社会活動や、SNSを通じたオフ会、その他に関わってみました。長続きしなかったものがほとんどですね。でも、長く続かなくても、一時的な協力関係として前向きに捕らえても良いのではないでしょうか。学校時代に親しかった友達も、卒業すれば疎遠になることは、ごく普通のことです。「昨日の友」が裏切って「敵」に寝返ることもあるのが、残念ながらこの人間社会の現実。「去るもの追わず」で構えるほうがよさそうですね。

「孤独は力なり」という言葉があって良いと思います。孤独だからできることがある。自分のやりたいことに打ち込めばよい。自分の興味関心や趣味について周りの人に理解してもらえない、と僻んでしまうこともあるが、地道に続けていれば誰かが見てくれます(もちろん、間違ったことをがんばるのはやめるほうがよいです)。

逆に何でも群れたがる、人にばかり頼る、ちやほやされることにしか関心がない人は、最終的に嫌われるでしょう。

それから、「友達が欲しい」と思うのなら、自分からつながろうと働きかけ、努力すること。好かれるために(あるいは嫌われないために)自分を改める努力も必要ですね。嘆きながらじっと待っても、友達はできないでしょう。




 


久しぶりに歯科関係の本を1冊紹介したいと思います。

天野聖志先生(米国歯科博士)著、

『歯を削らない、抜かない、だから痛くない、むし歯・歯周病の治し方』。

虫歯の治療としては、今や「削らない」「抜かない」治療法が常識的になりつつあります。歯を抜いたり削ったりしてしまえば、その隙間から菌が入って虫歯を再発しやすくなり、歯が枯れ木のようにどんどん弱っていく、と一般的に理解されてきているようです。

虫歯や歯周病は、MIという方法で治療できるそうです(欧米では一般的治療法として確立しているようだが、日本では自費治療)。MIの意味ですが、「Minimal Intervation」で直訳すれば「最小限の介入」。簡単に言うと、歯を削らず、歯を守るための予防的治療や口の中のケアについての指導が重要だということ。MIにも治療法は複数存在し、その代表的なものとして「ドックベストセメント」などが挙げられます。

実は年明け早々、虫歯が痛くて近所の歯医者さんに駆けつけました。そこの先生もなるべく神経を抜かないようにしたい、とおっしゃっていました。今や国民の7割が歯周病または予備軍ということも教えていただき、その予防のためにも、今後の歯の定期清掃を奨励されました。MIの考え方に近いと言えます。個人でどんなに歯磨きその他の手入れを丁寧にやったとしても、歯垢は6割ぐらいしか取れないと言われており、私自身も毎日これに悩んでいます。





 


新型コロナウイルスの「第3波」が日本全国を襲っています。緊急事態宣言の再発令も視野に入る状況ですね。

夏までの第1・2波とは桁違いの規模で、各都道府県ごとの感染者数・重症患者数・死者数も「指数関数」的に更新する一方で、病床逼迫度も限界に迫り医療崩壊危機を迎える、などと連日メディアで喧伝され、まるで恐怖を煽り立てるかのようですね。

こういうときこそ、メディアの狂騒曲に乗せられていたずらにパニックに陥ったりすることなく、新型コロナウイルスに関する科学的知識を学び、冷静になって可能な対策を十全に施すようにしたいものです。

それに相応しい本を1冊紹介します。『本当はこわくない新型コロナウイルス』(井上正康)。

実は日本や東アジアでの死者数は海外に比べて少ないんですよ。その要因にも諸説があり、日本特有の集団主義的社会が感染者数を極力抑え込んだ、日本人やアジア系の免疫特性が欧米系の人と異なる、日本の良好な衛生状態と医療システム、などが指摘されています。

今度の「第3波」ではどうなるのか予断は許せないが、ポストコロナを見据えた新しい社会を見据え、この「コロナ狂騒曲」を乗り越えたいですね。





 


中学・高校で習う範囲の「保健」の教科書を読み直したいと思い、借りてみました。

「保健体育」は私の苦手な科目でした。体育の実技ばかりか、教室での講義形式である「保健」も副教科だからといって軽視していたことを後悔。

正しい性(セックス)の科学的知識、飲酒・喫煙、労働環境、高齢化問題、感染症その他、本来現代社会人として身につけるべき知識ばかりで、なおかつ真面目に授業を聴けば日常生活と直結するだけに興味を持てることも多いはず。しかも「保健」は暗記すれば、そのまま筆記テストの点数に結びつくはずなので、今から思えばとても勿体無いことですね。



 


プロ野球選手・平野佳寿の『地味を笑うな』を借りてみました。

平野氏は1984年京都府宇治市出身。小学校時代から野球を始め、京都府立鳥羽高校へ進学後は甲子園のマウンドにも立ち、京都産業大学を経て、2005年オリックス・バファローズに入団。2020年よりMLBのシアトル・マリナーズに所属して活躍中です。

私は野球のことはあまりよくわからないけれど、なぜこの本を借りてみたのかといえば、「地味」な生き方の優れた実践経験を自分に感化させるため。

平野氏がこの著書の中で最も強調したいことは、「みずから進んで地味な存在であろうとするのは尊い」「地道な努力の積み重ねによって地味な仕事を黙々とやるのは素晴らしい」、でしょう。

平野氏は中学の野球部では地味とされるピッチャーに専念されることで鍛えられ、プロ野球への道を開く土台を築かれたそうです。入部するとき、小学校時代の少年野球の延長線で「すべのポジションをやりたい」と伝えたのだけど、監督からピッチャーを頼まれたとのこと。実際、平野氏にはピッチャーが適任だと監督が見極めたのでしょう。そして、毎日監督との『野球ノート』を書かされることを通じて、「野球脳」が鍛えられた、と語られています。相当シビアな世界で、運動音痴の私には到底無理でしょう(笑)

地味を笑うな
平野 佳寿
ワニブックス
2020-05-09

 

* * * *

私自身も、どちらかといえば地味に黙々やるほうが向いているタイプと言えます。しかし、高校~大学時代(さらに30代前半まで)の頃の自分自身を振り返ると、なぜか派手に目立つことにやたら飛びつく癖があり、中途半端な結果に終わる「負けパターン」が多かったように思います。やはり私自身には「派手」な花形的存在よりも、地味に徹することに適性があるということでしょう。

高校時代はやはりなるべく部活をやるほうがよかった。運動部が無理なら必然的に文化部を選ぶことになるが、(女子ばかりのイメージが強い)茶道部に敢えて入り礼儀作法や真心の大切さを身につけたいところ。その経験を自分の苦手な体育の授業を誠実に取り組んで平常点を上げることに生かす。文化祭では地味な単純作業でも何でもよいので、自分のできる仕事を見つけて買って出る(実行委員会等になったよいが大風呂敷を広げてやりっぱなしより、地味な仕事でも最後まで責任を持ってやり切るほうが「縁の下の力持ち」で好感を持たれる)。学業(受験勉強)では、英単語を毎日覚える、数学は基本・標準問題を繰り返し練習する、読書に励む、受験に使わない科目も定期テスト対策に手を抜かない。

大学も部活・サークル活動になるべく参加するほうが望ましいだろうが、自分のお気に入りのものがなければ、学外(地域)の社会活動・ボランティアに参加するのも、習い事を続けるのも、バイトで労働するのも有りでしょう。しかし、学生の本業は学業で、自由な時間の多い学生時代こそ、人一倍勉強に専念する(資格を取ることも含む)ほうが本来のあり方でしょう。「大学に行かせてもらっている」ことへの感謝(特に親・家族に対して)も忘れないように。


よく「教養を学ぶ」「教養を身につける」という言い方をします。

大学教育においても、専門課程・科目の「対義語」として、教養課程・科目などと言われますね。日本では数少ない「教養学部」も「教養科目を中心に学ぶ」ところだと認識されていることでしょう。

「専門」とは、数学・物理・工学・医学・看護・経済学・法律・政治・歴史・文学・社会福祉その他、一つの分野やテーマを「狭く深く」掘り下げるもの、あるいは特定の技術・技能を高めるものということはイメージしやすいでしょう。これに対して、「教養」は「広く浅く」学ぶというイメージで捉えられるのが一般的だと思われます。そして、特に現代社会において、「教養」よりも「専門」が高く評価されやすいのも事実。

反面、「専門馬鹿」という言葉もあるように、特定の専門分野に偏ったり、あるいは「目先の実利」ばかりを重視する教育の弊害も社会問題となっており、「教養教育がおろそかになっている」ことを憂う知識人や文化人も少なくないでしょう。また、実社会において、学生時代の専門分野のみではなく、他の分野の幅広い知識を身につける必要に迫られることは、別に珍しいことではありません。

「専門」の英語は"specialty"、"specialist"(専門家)であるのに対して、「教養」の適切な英語は何でしょうか? 「教養」の直訳として"culture"、"refinement"、"education"などが挙げられます。「教養課程」の英訳として"a general education course"があります。一方、"specialist"に対する語は"generalist"のようです。"generalist"とは「多方面の知識を持つ人」「博学な人」「万能家」の意味を持ちます。

したがって、「専門」の対義語としての「教養」とは、「多方面の知識」「博学」のことを言うようですね。

では、「教養を学ぶ」「教養を身につける」には、どうすればよいのでしょうか? 

それは、正直掴みどころがなく、実は「専門を学ぶ」「専門的スキルを身につける」以上に難しいものかもしれません。

「教養の学び方」の一つとして、脳科学者・茂木健一郎氏の『脳がめざめる「教養」』を挙げておきました。


脳がめざめる「教養」
茂木健一郎
日本実業出版社
2019-09-13



 


久しぶりにデンタルヘルス関連の本を1冊紹介したいと思います。

武田貢氏 「歯科医が書いた『歯は治療するな』」

です。

「歯は治療するな」とはどういうことなのか?

著者曰く、

「歯というのは、一度、削ってしまうと二度と再生しません。だから、一度、治療してしまうと、あとは坂道を転げ落ちるように、入れ歯やインプラントに向かって進みます」

です。歯を削るのは命を削るのと同じこと。

それよりも、大切なことは、

○虫歯を治療するより、原因を除去すること
○虫歯や歯周病にならないように、予防すること


だと提案。

虫歯を治すつもりで歯医者さんにかかりつけたはずだが、だらだらと何ヶ月も通院させられる、という人も多いように思います。私も過去に、これを経験しており、その歯医者さんに「医療費をむしり取るつもりか」と怨恨を覚えたことさえあります。

歯の治療がやたら長引いているんだけどどうして、などの疑義を感じたら、かかりつけの歯科医に文句の一つを言うのもよいが、自分のデンタルケアや日頃の病院へのかかり方などについて、反省するのも良いと思います。どうしても納得がいかないなら、もちろんかかりつけの先生に相談すべきでしょう。場合によっては、通院を打ち切るか、他の歯医者さんに転院するのもありでしょう。






「安倍政権はこんなに酷いことをやっているのに、どうして倒れないんだろう」
「若者の自民党支持が高い」「若者の保守化」
「日本に民主主義は根付かないのか」
「平和憲法は時代遅れなのか」


こんな疑問に頭を過ぎったことがあると思います。

昨年、「平成」が終わる頃に出版された本です。

私も先日、この著書を手に取り、ざっと目を通してみました。

平成の30年間はどんな時代だったのか、「安倍政権」とは何者か、日本の社会運動は本当に「弱かった」のか、若者が「保守」しようとしているものは何なのか、野党共闘の展望、日本国憲法の今日的価値などについて、面白く述べられており、読みやすいと思います。


手前味噌の私事ですが、社会活動やボランティアには関心が人一倍強く、学生時代からいろいろ関わった経験があります。触感としては、実際喜んでいただき自分の心の居場所が得られた反面、年月の経過とともに挫折感とか、「現実逃避やないか」と責められているかのようで後ろめたさが強まり、最終的には自信を失くし、ばつの悪い思いをして足が遠のくことに。

小泉改革に始まる「二大政党制づくり」、3.11東日本大震災や民主党政権の失敗を背景とするポピュリズム台頭、などを経験する中、共産党・民主党など「旧来」の左派・リベラルでは日本は変わらない、と真面目に思うようになり、小沢一郎や山本太郎のようなカリスマあるいはポピュリズムに飛び付いたことさえあります。一時は勢いがあって魅力的に感じられても、彼らだけではまっとうな政治・社会が実現できるようには思えず、そればかり野党勢力の分断を画策している疑念すらあり、どうも騙されたようで、結局これも頓挫。そのときになって、SNSで「もう共産党以外全部ダメ! 他の党は自民・公明・維新も民主も小沢党、あとムネオの党もみんな消えてしまえ!」と叫んで、小沢信者(オザシン)あたりから「工作員」扱いされる始末。


なぜ、このように挫折感を繰り返し喫することになるのか?


「自分だけ特別だ」「オレは意識が高いんだ」と、自己顕示欲が強く傲慢な態度に出やすい嫌いがあること。これは大きな反省点だと気づきました。中学・高校時代から続く、この自分自身の悪い癖は、徹底的に改める必要があります。

いわゆる「偉い人」、あるいは文化人や有名人に依存するのではなく、ごく普通の「保守的」な若者の目線で、社会活動への関わり方を考え直すこと。この「普通」こそが大事なようです。「特別なイベント」の時に「特別な人」として目立つのもよいが、地味ではあっても日常のやるべき課題(仕事、学業、家事・家族サービス、人付き合い、健康管理、ほか)を誠実にこなすことが第一。

信頼できる政治家・議員たちは、風頼みの浮動票ではなく、自分の出身地域を小まめに走り回り、市民要求や課題を見つけるよう日々精錬恪勤の活躍をされており、安定した支持が得られやすいです。タレントや俳優出身のポピュリストには真似のできることではないでしょう。政権与党に批判や反対ばかりの、いわゆる「抵抗野党」にも、これは苦手でしょう。常に住民目線で地方議員の数を着実に増やすことを重視する共産党や立憲民主党については、その点で信頼を置くことができます。これこそ、「保守」にふさわしいと言えるのではないでしょうかね?

「保守」とは、「変わらない」と言えばわかりやすいと思いますが、木下ちがや先生曰く、「変わらないためには、変わることが必要」なのです。逆も然りで、「変わるためには、普通が第一であることが必要」。


「社会を変えよう」といわれたら
木下 ちがや
大月書店
2019-04-17


 


「ネットは社会を分断している」というイメージは、かなり強いように思われます。

確かにSNS(Twitter、Facebookほか)の世界を徘徊する限り、多くの罵詈雑言が飛び交い、生産的な議論をすることが難しいように見えます。今般のコロナ災禍の中、政府や政権与党の対応を批判する側、野党支持者や左派・リベラルを称する人たちのTWなどを見ていると、現実的かつ建設的な感染症対策や景気対策よりも、感情的な反対論や終末論、あるいは財源を示さず無責任な「消費税ゼロ」だの、根拠のないポピュリズム路線をやたら煽り立てられ、嫌気すら覚えます。

しかし、『ネットは社会を分断しない』(田中、浜屋)には、10万人規模の実証調査の結果、世間の印象とは全く異なる結果がレポート。過激化しているのは、ネットを使わないはずの高齢者であり、ネット上の投稿の約半数はわずか0.23%の人が書き込んでいる、との結果が報告されています。ネットの世論と真の世論は一致するのでしょうか? 





 


断り下手な私には良い教科書と思って、購入してみました。

「断る力」とは、

人との和を大切にしながら、
なおかつ自分のホンネを出していく
「調整力」

(表紙カバーより)

ということ。

過去30年間の自分自身を振り返るや、断り方が下手ゆえに、人間関係を拗れさせたり、気まずい関係を作ってしまう、しなくてもよいはずの借金を背負う(勧誘商法に引っかかる)、余計な仕事を抱え込む、面白くもない付き合いや活動等に参加し大切な時間を無駄にする、という経験がどれだけ多かったことか。

お互い角が立たず、嫌われない断り方は、例えば次のようにすると良さそうです。

1)飲み会・アフター5の誘い
 →ちょっとだけ参加して、さっさと帰る
  「すいません、ちょっと家から電話が入ってしまって」
  「今日はこれ以上持ち合わせがないので」
  「終電が早いので(家が遠いので)先に帰ります」
  (一気飲みを断る時にも応用できる!)

2)無駄な長電話
 →さっさと切る。こちらから折り返すのがベター
  「大変申し訳ありません。これから打ち合わせで、あと5分ほどで出ないといけないんです」
  「後ほどこちらから折り返しますので」
  (セールス電話にも使えるかな?)

3)服屋で散々試着させてもらったのに、何も買わずに出る
 →「ありがとう。次に来た時には絶対買いますから」
  「ちょっとウエスト(サイズ)がきついかな」△
    (「お取り寄せしましょうか」と追い縋る可能性もある)

4)新しいカードを勧められたときは
 →「この前作ってもらいましたので」(ここはウソでも良い)
  (セールス電話にも応用できそうだ)
   →保険セールスは「身内の紹介で必要な保険に入っていますので」と言えばよいのでは






「断り方」関連で、過去に幾つかの記事を投稿しています。ご参考までに。

誘いをうまく断る方法
http://challenge50000.blog.jp/archives/30920092.html

一気飲みの断り方
http://challenge50000.blog.jp/archives/31150453.html

服を探すときの一言
http://challenge50000.blog.jp/archives/10174750.html



私個人的に一時期、小沢一郎のファンだったこともあります。

しかし、小沢一郎は、よく「壊し屋」などと言われるように、やはりロクでもない男です。

小沢一郎は、自民党を分裂に追い込み、民主党などの野党をまとめあげ二度の政権交代を実現させる力のある、海千山千の「選挙の神様」で、国士無双の保守政治家だと評価されます。反面、カネと権力欲にまみれて汚いというイメージも強く、世論的には後者のダーティな印象のほうが優勢のように思われます。

その止めを刺したのが、2009年民主党政権実現前後に勃発した陸山会事件。幸い2012年裁判で無罪を勝ち取るも、その後の小沢の神通力はまるでガタ落ち。民主党政権下では自分の主導権を握れないからと、「消費税増税反対」の旗をかかげて民主党を離脱、「生活の党」やら「未来の党」やら「自由党」を立ち上げるも、「選挙の神様」がウソだったかのように零落する始末。「壊し屋」の本領発揮にほかなりませんね。いかに皆小沢から人心が離れているのかは明白でしょう。

ネットの世界では、小沢一郎(そして山本太郎)をヒーローに持ち上げる人たち(小沢信者、オザシンと言われる)が幅を利かし、小沢総理待望論も根強いが(私自身もそちらへの思い入れが強かった)。世間の目は「裏切り者」としか判断されないのも当然で、民主党政権をぶっ壊し自公政権をアシストしているとしか思えません。

そして、この男は、またもや余計なことをぬかしてきやがりました。

衆院選、現状では「ほぼ全滅」 合流見送りで小沢氏
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO55122610R30C20A1EA3000/

はっきりいって、野党統一戦線(立憲民主党、国民民主党、共産党、社民党ほか)にとって小沢一郎の存在は迷惑千万です。前回2017年の衆院選(岩手4区)では、小沢一郎自身が共産党の票で辛うじて当選したという話もあり、身の程知らずの傲慢としか言えません。そろそろ引退なさったらいかがでしょうか。

そういえば、2017年「希望の党」騒動のとき、前原・小池両氏のほかに小沢も絡んでいたのは有名な話です。小池百合子氏の「排除の論理」で小沢自身が希望の党から排除されたのは自業自得。しかし、共産党リードで進められてきた野党共闘がぶち壊され、民進党(旧・民主党)を解党させられ行き場のなくなったリベラル系議員には、たまったものではありません。突き落とされた奈落の底を、枝野幸男氏が立憲民主党を結党して火中の栗を拾い、野党第一党に躍進。壊れかけた野党統一を発展進化させることにつながったのは、怪我の功名でしょう。歴史は皮肉なものです。立憲民主党の誕生も小沢一郎の功績と言えるでしょう(小沢氏には不本意でしょうが)。「壊し屋」の男が最終的に壊しつつあるものが、自分自身の陣地や信用力というのも滑稽ですね。

野党統一をつぶしにかかった主犯たる男が、割を喰った共産党が手を差し伸べて、やっとの当選を果たしたわけで、本来はあり得ない話ですよ。「選挙に強い」小沢神話など、もはや過去の話。



 


「一流患者」「三流患者」という言葉があります。

医師にも一流・二流・三流と評価され患者から選ばれる存在であるのと同様、患者もまた医師から選ばれているということです。それはどういうことかといえば、「客は神様」と言わんばかりのわがままで自分勝手な患者、クレームばかり付けたがるようないわば「モンスター患者」もおり、医師として敬遠したいところでしょう。かといって、医者を妄信して任せっきりだったり、何でも医師の言いなりになるのも、「良い患者」とは言えないでしょう。私自身も含め、上手な病院のかかりかたを考察したいところです。

上野氏の『一流患者と三流患者』では、「一流患者」「二流患者」「三流患者」を次のように分けています。

●三流患者 モンスター患者のこと。病院や医師に文句ばかり言い、聞く耳持たない患者。

●二流患者 医師の言うことを鵜呑みにし、全てを快く受け入れる患者。「受け身の患者」。

●一流患者 医師任せにせず、自分自身から医師にコミットし、最適かつ最良の医療を病院から引き出せる患者

実際、「二流」とされる患者が大半だと思われます。現在受けている治療法や薬に疑問を持つことは大切でしょう。ただ、それも一つ間違えれば、三流患者に転落しかねません。医者にあまり信用が置けないからと自分でネットで調べるのは良いが、自己判断で一番効果ありそう、あるいはこの病気に当たると思い込んで、特定の治療法や薬の処方をいきなり医師に要求するのでは、良い顔はされないでしょう。私自身、それで自爆したことがあります(簡単な診察・検査で「問題なし」で終わり、薬も処方してもらえず手ぶらで帰された)。






快眠についての本は、世に多く出ているが、一つ読みやすと思う本を紹介してみたいと思います。

安眠ドクター・大谷憲先生の著書で、「薬を売らない薬剤師」と称しておられます。
ということで、「薬を使わずにぐっすり眠る」方法です。

快眠・良い目覚めのための6つのルールとして、

○太陽(日光)
○食事
○運動
○呼吸
○温める
○生活リズム


を挙げています。

日頃、床に就いてもなかなか眠れなかったり、慢性的な睡眠不足で悩む中、快眠に関する本を時々図書館で探すが、専門書のようで難しかったりで、手がかりは今一つ掴めず・・・。

大谷先生のこの本は、図面・イラストが多くて読みやすいと思います。この本の通りに実践できなくても、大いに参考にはなるでしょう。快眠のためにNGなこととして、

×睡眠薬
×寝だめ
×昼寝のしすぎ
×休日の朝寝坊
×眠れない夜に飲酒


などが挙げられています。




 


国語の勉強法に関する本を1冊紹介したいと思います。

国語にせよ、英語(外国語)にせよ、基礎となるのは語彙力、ということを実感しつつあります。

英語について、知らない単語ばかりだったら、読み書きは覚束ないでしょう。まずは単語を覚えることから始めるほうが良いと思います。大学受験英語を制するには、単語6,000個を覚えると対応しやすいでしょう。

国語も同様。漢字の読み書きを抜かりなく取り組むことでしょう。大学入試対応なら、『金の漢字』もしくは漢字検定(2級)のテキストをこなすことをお勧めします。入試の現代文では、難しい漢字やカタカナ(和製英語)も多く登場するが、頻出するキーワード・用語集も沢山出ているので、そちらも副読本として持っておきたいもの。

それと、電子辞書もぜひ入手したいもの。わからない言葉に出会えば、辞書を引くことを習慣づけることです。もちろん紙の分厚い辞書でも良いが、電子辞書があると携帯にも便利でしょう。専用の辞書機器を買うのでも構わないし、お手持ちのスマホ・パソコンにもアプリとしてインストールされていると思われるので、使いこなすようにしましょう。

ここで紹介する本の巻末に、四字熟語・慣用句・難熟語・カタカナ語が資料として掲載されているので、活用したいものですね。


 


大学の教養科目として哲学の講義を履修する学生は多いことと思います(文学部哲学・宗教系専攻の学生なら、当然、必修科目でしょう)。私も1回生の時に哲学を履修しました。実際に講義を聴いた感想は、何のことかチンプンカンプンで、大講義室の中で私語が凄まじかったこと、ぐらいですかね。テストの点数も合格点ギリギリでした。

そもそも、高校までに「哲学」といった科目がなかったため、大学に入っていきなり哲学の講義を聴いても馴染めない、あるいは哲学とは何を学ぶものなのかを全然知らないのも、無理はないと思います。

ただ、高校の教育課程において、大学で学ぶ哲学を知る上でヒントになりうる科目はあります。それは社会科の「倫理」という科目です。社会科といえば、日本史・世界史・地理・政治経済・現代社会を連想されることでしょう。実際、大学入試で日本史・世界史を選択する受験生がダントツに多いのは周知の通りです(暗記することが膨大で嫌いだという人も少なくないですが)。それに比べて、倫理はあまり見向きもされておらず、履修したという人は多くないでしょう。

しかし、センター試験で「倫理」を受験することは可能です。「倫理」で何を学ぶのかといえば、宗教・西洋思想・東洋思想・日本思想に関する知識、および人間・社会のあり方を根本から問うことでしょうか。ソクラテス・プラトン・デカルト・ニーチェほか、世界の哲学者や思想家が何を説いたのか、ということが、この科目の主なテーマだと思います。

大学の哲学や宗教学などの講義がわからなくて困ったら、高校の倫理の教科書に目を通すのは一つの解決方法かもしれません。試験やレポートの点数が思わしくなくて悩んでいる学生も少なくないようですが(私もその一人だった)、理由として、そもそも哲学に関する基本的知識・理解が足りないのか、あるいはレポートや答案の書き方そのものを知らない、ということが考えられそうです(哲学の成績が思わしくないことを才能のせいにしたり、「僕は理系だから」などと理由をつけてあきらめてしまうのは、少しもったいないのではないか)。基礎知識が足りないと思うのなら、高校の倫理の教科書を読むのでもよいし、レポートの書き方に自信がないなら、「レポートの書き方」の本はいっぱい出ているのだから、それを参考にしながら書く練習をすることでしょう。レポートの書き方については、可能なら添削してもらうほうがよいでしょう(最近では、新入生向けに「大学生入門」とか入学前教育などと銘打って、レポートの書き方から指導する機会を設けているようだ)。




 


少しお恥ずかしい話ですが、健康関係の著書を1冊紹介したいと思います。

それは、『本当はこわい排尿障害』(高橋 知宏著)。

中高年の約半数(青年も)は何らかの排尿障害を抱えている、と著者・高橋知宏先生は指摘。その症状は、尿漏れや頻尿、慢性膀胱炎や慢性前立腺炎、陰部の痒みや痛みに加え、一見排尿とは無関係に思える胃痛や腰痛、顔の痒みほか、多岐に渡るといいます。慢性前立腺炎・膀胱炎を疑って、近くの病院・診療所を何箇所もハシゴするが、ありきたりの治療法や薬が処方されるばかり。「異常なし」「気のせい」の一言で片付けられ、まともに取り合ってもらえず、閉口頓首の絶望に追いやられる中高年も多いといいます。

高橋知宏先生は、このような症状について、「膀胱の出口が十分に開かない」ことに着目し、独自の排尿障害治療法を確立。慢性前立腺炎・膀胱炎をはじめ、尿のトラブルで長年苦しむ患者が、全国各地から東京の高橋先生のもとへ駆け込み寺として来診すると言います。排尿障害の驚くべき症例と治療経験が紹介されています。高橋クリニックのブログにも豊富な症例・治療法が挙がって情報量も多く読み応えがあるので、こちらもご参考にされると幸いです。




 


いわゆる「断捨離」術の本です。

「汚部屋」を片付けることで、どれだけ人生が変わるのか、ということを、著者・勝間氏の実践経験に基づいて述べられています。「どんなに整理してもなかなか部屋が片付かない」と悩んでいる方は、この本を参考にされるとよいかと思います。




 


高校の社会科といえば、「日本史」「世界史」「地理」「現代社会」「政治経済」などを連想されるものと思います。大学入試でもこれらの科目を選択するのが一般的ですね。

マイナーですが、実はとても大事と言うべき科目があります。それは「倫理」。

「倫理」で何を学ぶのかといえば、人間の生き方、自分とは何か、人間と社会との関わり、というのでしょうか。もう少し難しい言葉でいえば、哲学・思想・宗教・論理学・道徳・・・。高校の授業で教わっても、何のことかわからないかもしれませんが(もちろん、興味のある人には面白いでしょうけど)、実は大学の人文・社会科学を学ぶ基礎として非常に重要だと思っています。大学の哲学・宗教学・論理学・心理学その他の講義を聴いて理解しづらければ、高校の「倫理」教科書・参考書を勉強し直すのも良いでしょう。

大人になって人生経験が堆積するに伴い、高校の「倫理」を学び直したいということも、もちろん自然なこと。10代の頃は何のことかさっぱりだったけど、今改めて勉強すると興味が湧いて面白いでしょう。

私の高校時代、「倫理」に近い内容を「現代社会」で学んだかと思います。実を言うと、受験に使う予定がないからと、この科目には手を抜いていたが、今から思えばもったいないこと。もう少し熱心に授業さえ聴いていたら、大学の人文・社会科学系科目で「優」を取ることも可能だったのでは、と思っています。




 


適菜収の著書をまた1冊簡単に紹介します。

「男が30代でやめるべき習慣」として、以下の例が挙げられています。

【いますぐやめるべき「自分磨き」】
「楽しくない仕事」
「群れる・つるむ」こと
「自己啓発」
「名刺交換」、ほか

【言ってはいけない「口ぐせ」】
「オリジナリティ」
「コスパ」
「がんばれ」
「中身で判断して」
「言い訳」をやめる、ほか

【すぐに捨てるべき「メディア」】
「テレビ」を捨てる
「紅白歌合戦」を見ない
「SNS」をやめる
「グローバリスト」をやめる
「多数決」をやめる
「新聞」を捨てる、ほか

【やってはいけない「マナー」】
「下品」をやめる → 箸の持ち方を改める
「行列」に並ばない
「三流のもの」と距離をおく、ほか

・・・

私個人的に、「特にこれは」と共感したのは、「群れる・つるむ」ことをやめること、でしょうか。
仲間を作る、友達・仲間と共に行動すること。これ自体はとても良いことでしょう。

だからといって、いつも「誰かと一緒にいないと不安だ」「大勢で行動しないと落ち着かない」というのは、どうでしょうか?

私は、仲間と群れる、というのは苦手。どちらかといえば、一人で行動するほうが好きですね。そのくせ、少し前までは、人に頼りすぎる、誰かにかまってもらいたいという依存心も強く、今から思えば実に恥ずかしい。それゆえ、詐欺師や宗教まがいのものに騙されたことも少なからずありました。

仲間と共に行動することはすばらしいが、孤独になってがんばるのもまた立派なこと。一人のほうが、自分らしさを貫くにはずっと良い。人に相談にのってもらい助言を仰ぐのもよいが、最終的に決めるのは自分自身です。旅行するときも、基本的に一人旅ですね。

「論語」に「君子は和して同せず、小人は同して和せず」という言葉があります。意味は、「人と争わず仲良くするが、自分の意見はしっかり守ってむやみに人に同調したりしない」。悪い意味での「群がる・つるむ」は、「同して和せず」でしょう。反対に、正しい「孤独」は、「和して同せず」の「同せず」であり、それは人と争うことではなく、他の人の立場を互いに認め尊重しあうことにつながると言えます。







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少し難しい本ですが、われわれ趣味人にとっても耳の痛い記述があったので、紹介させていただきます。

110ページ、「いちばん興味があるもの」。


人間にとっていちばん興味があるもの、それは人間にほかならない。
それ以外のものには興味を持ってはいけない。

『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』

上に引用したゲーテの言葉はどういうことなのかといえば、「電子化された情報への関心が保てる一方、人間そのものへの関心や興味が希薄になっていくのではなかろうか」、「ヒトよりモノに関心を持つのは、どこかおかしいのではないだろうか」と著者・木原氏が指摘。すなわち、生きた人間をモノとしてしか扱う傾向を助長することになり、人間関係の妨げになっているのではないだろうか、と問題を提起されています。

ゲーテは、上に引用した言葉に続いて、

「われわれを取り巻いているそのほかのものは、われわれの生活環境にすぎないものか、それとも、われわれの用に供される道具にすぎない。そういったものにこだわり、注意を向け、かかずらわることが多ければ多いほど、われわれ自身の価値や社会に対する感覚は弱くなる。庭や建物、服装、装飾品など、これらに類した所有物に大きな価値を置く人は、人付き合いが悪く、不親切だ。」

と述べています。庭・建物・服装とか車・バイク・装飾品などが楽しくて価値を置くのは全く悪いことではないが、要は身の丈に合ったものを選び、何事も程ほどにということでしょう。

いわゆる「オタク」とは、コレクションだけが目的で、当事者以外の人にはほとんど価値のないようなものに、異常な興味を抱く人のことだと、木原氏は指摘しておられます。知識オタクという言葉もあるが、自分の知識の豊富さを誇示すること、知識のひけらかしに必死な人のことで、はっきりいって当事者以外を不愉快にさせる存在です。私・管理人自身にもそのような嫌いがあると自覚しており、改めるよう努めているつもりです。木原氏曰く、「オタク」と言われる人には、自分たちが手にするモノの背後にある、人間や社会との関わり、作った人がいることに思い及ばない、ということ。単なる断片的な知識の羅列をしたがる知識オタクも、確かに見苦しいですね。自分一人だけ盛り上がっても、やがて飽きてしまうものです。

鉄道趣味人に求められるものは、話題のコレクションや情報を独占したりむやみにひけらかしたりするのではなく、鉄道を築いた人々、鉄道を動かす人々、鉄道を利用する一般の人々、地域社会や歴史との関わりなどを意識することでしょう。お祭り騒ぎなどの迷惑行為は論外ですね。






 

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