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私が大学・大学院生だった時代、時々「潜り」のようなことをやっていました。

大学で「潜り」という言葉も時々耳にされるかもしれません。「潜り」とは、端的に言えば、正規の履修登録をしないで講義を聴きに入ること。他大学・他学部の興味のある講義を聴いてみたい場合などに、「潜り」をしているという話は昔から時々聞きます。

「潜り」という語感からは、何かしら不法侵入の罪を犯しているようで、胡散臭いと感じるかもしれません。しかし、もともと大学は学問の自由と機会を万人に保障すべきだという立場から、「来るもの拒まず」の構えで誰もが自由に講義室に出入りできるようになっているものと思います(これが大学の良さなんですが)。むしろ「潜り」を歓迎する教授・講師も多いことでしょう。

しかし、近年出席チェックが喧しかったり、学内安全を理由に部外者の出入りも厳しくなっているようです。20年前に起こった大阪教育大附属池田小学校事件の影響などももちろんあるでしょう。いずれにせよ、平成バブル崩壊のあたりからか、大学の統制管理が徐々に厳しくなっているようで残念ではあります。

「潜り」行為について、正規の授業料を払って履修登録している学生の側からすれば、不満を感じるのも当然のこと。(始発駅の)ホームに並んで電車を待っている乗客が「折り返し乗車」の不心得者にムカつくのと同じ心理でしょう。

どうしても「潜り」をやりたいのなら、担当教官とコンタクトを取り聴講許可を貰うほうが無難でしょう(→ダメならあきらめましょう)。もちろん「潜り」の人間に単位取得等の権利は保障されないし、熱心に指導してもらえるわけでないと割り切りましょう。本来、科目等履修生として授業料を納めて履修登録するのが筋でしょう(履修条件を満たしているなら)。

大学教員は世間様の想像以上に多忙で、部外者の面倒まで見ている余裕などないはずです。「潜り」をやっていた院生当時の私ですが、専門分野転向のトリガーにしようと、ゼミや研究室から認めてもらいたいとの承認欲求や自己顕示欲が先走ってしまったのはまずかったです。これも結局のところ、「自分探し」「現実逃避」に他ならなかったと思います(さまざまなボランティア活動や社会活動に飛びついたのも、やはり「自分探し」「現実逃避」の側面が強かった)。

* * * *

自分の本業の専門分野以外のことを学んでみたいのなら、独学から始めるほうがよさそうです。独学が基本でしょう。そもそも高い専門性の求められる院生には、本来「潜り」などやっている余裕はないはず。

しかし、短い空き時間を使って独学することは可能でしょう。自分の場合は、特に大学受験レベルの国語や歴史公民を独学でやり直すのが先だろうと思っています。大学の人文・社会科学系の講義やゼミを理解するには受験国語・歴史・公民等の基礎学力・知識が前提でしょうから。

独学は当然のことながら孤独なもの。講義やゼミに潜って仲間に入れてもらい親睦を深めるのも良いですが、学ぶということは本来孤独なものでしょう。仲間と盛り上がったから自分は評価されたと錯覚する嫌いもあるが、それよりも大事なものがあるはずです。「孤独は力なり」ですね。


高校は小・中学校までとは異なり、留年制度があります。そのため、学科の成績も一定の点数(多くの学校では40点)を取れなければ、「赤点」とされ、 最悪の場合、留年ひいては退学に追い込まれることもあります。そこまではいかなくとも(普通にやっていれば留年や退学にはならないが)、正直、いろいろ面倒厄介です。

私も一度だけ「赤点」を取ったことがあります。今から思えば、かなり面倒くさいことになっていたようです。

実際、赤点を取ってしまうと、

補講・補習を受けさせられる

課題が出される

保護者面談に呼び出される

クラスや学年全体(場合によっては家族)の噂のネタにされることもある


など、快くないことがいろいろ待ち受けます。自分の場合、親が面談に呼び出され、また赤点の件も響いたのか、クラス担任の先生から、「ちょっと困ったヤツ」と目を付けられていたようです。

やはり、「赤点」は取らないようにしたいですね。大学受験に使う予定のない科目や副教科(体育、芸術、家庭科)も、普段から授業を真面目に聴き、課題・提出物をきちんとこなし、定期テスト対策には手を抜かないようにしましょう。

仮に「赤点」を取ってしまったら、その瞬間から心を改め、以後真摯に取り組むようにすることです。特に暗記物の科目だったら、挽回は十分可能で、「倍返し」を狙う構えでいきたいもの。そのためには、授業をしっかり聴き、必死になって覚えるようにすること。補習・補講に時間を取られるのは、せっかく得意な科目を伸ばす機会を奪われることにもなり、屈辱的です。


私が高校時代に知っていたら得だったと思うこと。

1)受験勉強は「暗記」が基本。英語を制するものは受験を制する。受験英語は英単語を暗記することに始まる

2)受験国語(現代文)の勉強法。「答えは本文中にある」という鉄則

3)大学の文学部に地理学科があること

4)生物の面白さ

5)地元(枚方・交野・寝屋川周辺)の楽しみ

ぐらいでしょうか。


1)2)については、これまで当ブログで何度か関連記事を投稿してきましたが、さらに言えば受験数学も実は「暗記」です。数学については「解き方のパターン」を覚えること。わからない問題をじっくり考えることは学問の姿勢としてはとても大事ですが、限られた時間で覚えることの多い受験勉強そして高校の日常の勉強(定期テスト)では、「とりあえず解き方を覚える」ことでもって目の前の試験を乗り切る、と機転を利かす柔軟さなども、社会人に求められる能力でしょう。

今回は、3)4)について、少し詳しく書きたいと思います。


3)の地理学科の件は、実はかれこれ20年近く思い続けてきたことです。仮に「文学部に地理学科というユニークな学科がある」という情報だけでも頭の片隅に入っていたら、余計なことに誘惑されず、間接的に自分自身の進路選択の幅を広げることもできたのでは、と後悔することがあります。

そもそも日本では地理学科のある大学は限られています。地理学そのものも、各国の言語・都市名・人口・文化・産業を暗記する社会科的な内容ばかりか、気候や地質構造・地形・水系・生態系など自然科学的な内容も重要テーマであり、文系・理系の両領域にまたがる学際性の強い分野(それゆえ、東日本の一部の大学では理学部その他に所属するところもある。ただ、全般的な分布傾向として特に関西や西日本の大学では文学部に所属)でありながら、英米文学や歴史・心理学・福祉などに比べて地味な印象が強いのも、ユニークで面白いです。もし仮に大学をやり直すとすれば、地理学科を選択肢の一つに入れたいと思っています。


4)実は「生物」も好きだったら、高校時代を3倍楽しめたのでは、と思いました。高校の理科では、どちらかといえば計算や理解の比重を占める「物理」「化学」(中学理科では第一分野に相当)を好んでいました。暗記物とのイメージが先行して生物にあまり興味が持てなかったのは、今思えば非常に勿体無いことだと思います(数学的理解が求められるところは遺伝の話ぐらいだったかな)。もし生物が好きになっていたら、私自身には次の2つのアドバンテージがあったでしょう。

a) 「物理」で挫折したときの「逃げ場」に活用できる
b) 部活の可能な選択の幅を広げる

正直、「物理」は意外に苦戦気味でした。高校の理科で一番点数が取りやすかったのは「化学」でしたね。ただ、高校の物理で辛酸を嘗めた経験があったからこそ、大学初年度で習った物理(力学)では、数学の微積分やベクトル代数とセットで学び直して理解しやすかったのは良かったと思います。

生物が好きな科目だったら、運動部のダメな私にとっては、生物部は部活の一つの選択肢に入ったことでしょう。生物部での行動範囲は意外に広く、生物教室での観察・実験はもとより、身近な地域での野外観察や河川の生態調査、また山・池沼・海に遠征して希少生物調査、そして田んぼや畑で農作物を育てる、といったことに取り組んでいる学校もあります。いわゆる「フィールドワーク」というもので、大学で地理学を専攻してみたいと思う人にとって、これらの経験はきっと役立つことでしょう。


5)「青春18きっぷ」あるいは自転車で遠いところへ旅するのも良いが、自分の住んでいる市内・地域の魅力を深く知り、あるいは地域の解決すべき課題を見つけること、これまた大切なことでしょう。そのためにも、もっと地元の路線バスなどに乗り回って楽しめば良かった。ここ30年間でバス路線や沿線風景も大きく変わっていることだし、当時ならではの車両にももっと味わって乗っておけばよかったと後悔しています。3)の地理学科の件、そして4)の生物部での活動とも密接な関連性があると思いますね。



よく「教養を学ぶ」「教養を身につける」という言い方をします。

大学教育においても、専門課程・科目の「対義語」として、教養課程・科目などと言われますね。日本では数少ない「教養学部」も「教養科目を中心に学ぶ」ところだと認識されていることでしょう。

「専門」とは、数学・物理・工学・医学・看護・経済学・法律・政治・歴史・文学・社会福祉その他、一つの分野やテーマを「狭く深く」掘り下げるもの、あるいは特定の技術・技能を高めるものということはイメージしやすいでしょう。これに対して、「教養」は「広く浅く」学ぶというイメージで捉えられるのが一般的だと思われます。そして、特に現代社会において、「教養」よりも「専門」が高く評価されやすいのも事実。

反面、「専門馬鹿」という言葉もあるように、特定の専門分野に偏ったり、あるいは「目先の実利」ばかりを重視する教育の弊害も社会問題となっており、「教養教育がおろそかになっている」ことを憂う知識人や文化人も少なくないでしょう。また、実社会において、学生時代の専門分野のみではなく、他の分野の幅広い知識を身につける必要に迫られることは、別に珍しいことではありません。

「専門」の英語は"specialty"、"specialist"(専門家)であるのに対して、「教養」の適切な英語は何でしょうか? 「教養」の直訳として"culture"、"refinement"、"education"などが挙げられます。「教養課程」の英訳として"a general education course"があります。一方、"specialist"に対する語は"generalist"のようです。"generalist"とは「多方面の知識を持つ人」「博学な人」「万能家」の意味を持ちます。

したがって、「専門」の対義語としての「教養」とは、「多方面の知識」「博学」のことを言うようですね。

では、「教養を学ぶ」「教養を身につける」には、どうすればよいのでしょうか? 

それは、正直掴みどころがなく、実は「専門を学ぶ」「専門的スキルを身につける」以上に難しいものかもしれません。

「教養の学び方」の一つとして、脳科学者・茂木健一郎氏の『脳がめざめる「教養」』を挙げておきました。


脳がめざめる「教養」
茂木健一郎
日本実業出版社
2019-09-13



 


高校数学(大学受験)の数学勉強法について、私自身の経験と反省をもとに、思うことを書いてみることにしました。 

高校時代、数学は好きな科目の一つでした。だからといって、高校3年間、ずっと数学で90点や100点を取り続けていたというわけでもなく、一つ勉強法を誤ったゆえに(それは数学だけの1科目単体というより、受験戦略全面的に)、高2の2学期から成績が伸び悩び、高校生活全体的に何もかも中途半端になってしまい、不満が残ったことを後悔しています。

以下、高1・2までを中心に、数学をどうすればよいか、今の私ならこうするだろう、ということでまとめてみました(大学入試体制が大きく変わる予定ですが、現体制のもとで検討してみました)。

1)高1・2の段階では英語とセットでメインに力を入れる。特に復習をしっかりやる
2)実は数学も「暗記科目」である。特に問題の解法パターンを覚える
3)問題集は基本・標準レベル1冊に絞り、何度も繰り返す
4)(文系志望で)数学を受験に使う予定がなくても、定期テスト対策はガッチリやる

上記4点に注意すればよいと考えています。もとから数学が好き・得意だという人は、2)の「暗記」は、特に意識しなくても良いでしょう。

数学の好きな人、あるいは理系の大学進学を希望する人の中には、数学の難しい問題集にこだわる人もいるかもしれません。実を言うと、高校時代(特に高1時代)の私はその一人でした。

ただ、限られた時間の中でやることの多い受験勉強において、これはあまり得とは言えません。

時間的余裕のある高1・2のうちは、それよりも英語や国語など他の科目の勉強に力を入れる(特に「英単語を覚える」こと)、友達を作る、部活に燃える、読書に励む、あるいは思いっきり遊んだり、バイトで働いたりするほうが、これからの長い人生にはもちろん、当面の大学受験においても利徳が大きいように思います。高校時代の私自身、それがうまくやれず、何もかも中途半端だったことを後悔しています。

* * * *

数学は予習・先取りよりも、復習のほうが大切。夏・冬・春休みの学習には、数学を復習する時間を必ず取ることです(かといって、数学ばかりに力を入れるのは考え物。英単語も毎日覚えましょう)。この機会に定期テストを解き直しましょう。

問題集は、なるべく学校配布のものを使いこなすようにしましょう(あまりにも「お粗末」な場合、数学の先生に相談して良い問題集を探すとよい)。それも1回解いてお仕舞いではなく、2回・3回と繰り返すこと。そうこうしているうちに、解法パターンが自然に身について自信がつくはずです。解説がどうしてもわからない場合、とりあえず「解き方」を暗記してしまうのも一つの手(→少なくとも定期テストは乗り切れると思います)。

余力があるなら、難しい問題集に手を出すよりも、高2・3の先取り学習を少しでも進めるほうが得策でしょう。進学校と呼ばれるところでは、高2までに高校3年間の全範囲を終えるのが普通なので。高1の段階でも、「数I」のセンター(→新共通テスト)対策はやっておいて損はありません。

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文系志望で受験に数学を使わない、という場合はどうするか?

問題は大学入学後。経済学とかでは数学を当たり前のように使うことになり(社会学や心理学、行動科学などでも数学を使うことは少なくないだろう)、「数Ⅲ」(理系は特に必須)の範囲の微積分も必要になるが、高1・2までの基礎理解が定着していれば、「数Ⅲ」をマスターするのもさほど苦ではないはずです。必要なら、大学入学前学習として、高1・2時代の数学の定期テストを解き直すぐらいのことはやっておいて良いかもしれません。

文系志望の受験生も、できれば数学を選択することをおススメします。暗記する量の非常に多い社会(特に日本史・世界史)よりも、数学選択のほうにお得感があります。「受験で数学を選択した人」の年収は何倍にもなるとの研究調査も報告されています。数学を選択しないのは、もったない話ではありませんか?



http://challenge50000.blog.jp/archives/32200718.html
のつづき。

3)「受験に使う予定のない」科目も、定期テスト対策はなるべく手を抜かない

4)(苦手意識のある)体育などの「副教科」では、日頃の授業課題を誠実に取り組む

5)夏休みについて、高1・2のときはできるだけ遊ぶ



3)「受験に使う予定のない」科目までしっかり勉強する、ということは、時間的になかなか難しいと思います。特に高3・受験生は。でも、高1・2の段階では、定期テストは手を抜かずに対策を講じたいものです。特に受験での理科・社会の選択科目が定まっていないなら、しっかり授業を聴いて定期テストで良い点数を取るようにするほうがよいでしょう。

理科・社会は(物理は別だが)、少なくとも定期テストでは、暗記するだけで基本6~7割以上は取れるはずです。これで「赤点」を取ってしまうのは、実にもったいない話(「赤点」を取ると、補習やら親を呼び出されるやら、いろいろ面倒なので、避けるようにしたいところ)。

もう少し具体的にどうすればよいか。授業は熱心に聴き、時間内にガッチリ暗記してしまうようにしたいものです(「内職」などは禁物です)。可能なら、教科書またはプリントにざっと目を通すぐらいの簡単な予習はするとよいでしょう。ただ、社会科については、教師によって検定教科書を全く使わず、個人好みでオリジナルの教材を作るなど、「受験と直結しない」授業も結構あるようなので、そこは注意が必要です。

大学受験には使わない科目だとしても、大学入学以降あるいは社会人になってから、「勉強して良かった」と思える時が来るものと思います。サボってしまえば、悔いを残すことになるでしょう。

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4)今頃になって、中学・高校時代の体育のことで、ものすごく後悔しています。正直、体育は嫌いな授業でした。実は、高1のときのクラス担任が体育の先生で、私自身のことを「ちょっと困った面倒な奴」という印象受けだったようです。その理由の一つに、体育の授業態度が響いているのでは、と遅ればせながら気づきました。

体育が苦手なのは仕方ありません。自分が体育がダメダメなのは、先生方もクラスのみんなもわかっているはず。そんな「マイナスからの出発」と言うべき条件のもとで、いかに自分の魅力UPを図るか、に知恵を働かせて授業に参加すると面白いのでは、と思いました。それはさほど難しいことではなく、日常の授業課題を誠実に取り組むこと、がカギのように思われます。先生の話に耳を傾け、やるべき練習課題・試合をこなす。失敗・ミスを恐れず、どんどん練習に励むこと。授業の準備・後片付けを積極的に手伝うだけでも、印象はガラッと変わるように思います。

「皆勤賞」にこだわって根性を見せたり、文化祭ほか学校行事について「変わったこと」を提案して大風呂敷を広げてみたり、「オレは意識高いぜ」の自己顕示も悪くないが、それよりも日頃の体育の授業にもう少し気合いを入れるなどして、誠実さを見せるほうが、利徳が大きいと痛感しています。

夏休み前には水泳の補習を受けさせられました。他の科目の講習を申し込んでいたが、予定が重なったためにキャンセルせざるを得なくなり、屈辱感を覚えました。こんなことになったのも、中学以来水泳の練習が不足気味だった自分が悪いと、反省しています。補習の通知を渡された時点で、反省の意思を示し、以後の体育の授業をもう少ししっかりやる、と改心するだけでも、自分の高校時代の充実度が大きく変わったことでしょう。

体育などの「副教科」の得意不得意は、大学の一般入試(古典的な筆記試験)にはもちろん直接の影響はありません(体育・スポーツ・健康科学系の学科は別)。しかし、日頃誠実に体育の授業に取り組むこと自体、受験戦争(特に心理面)に何の効果ももたらさないとは考えにくく、それも決して小さなものではないだろうと感じます。


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5)夏休みの過ごし方ですが、高1・2の間は、できるだけ遊んだほうが良い、と言いたいところ。それも、ただ家の中にくすぶったり、スマホやゲームばかりではもったいなく、知恵を働かせて日頃できないことに取り組んでみたいですね。

「青春18きっぷ」あるいは自転車で遠いところへ旅するのも、もちろんありでしょう。地元を走る路線バスや路面電車・地下鉄にいろいろ乗って回るのも、また楽しいもの。自分の住んでいる市内や町に対する興味・関心を高め、地元を愛し、地域課題を見つけることも、これまた大事な勉強(フィールドワーク)です。

本当は部活をやるほうが良いのでしょうけど、運動系がダメな私は、複数の文化系クラブに加入するも、中途半端に終わってしまい、実質「帰宅部」状態でした。それなら、なおのこと毎日図書館に通って読書する、(受験勉強以外の)習い事をやる、特技を一つ作る、水泳の練習をするとか、自分で一つ課題を見つけて取り組みたいもの。

休み中の勉強については、出された宿題を真面目にこなすこと、および英単語の暗記を毎日やるようにすればよいと思います。あと、1学期までの復習(これは英語・数学中心でよいだろう。自分で新しい問題集を買うより、定期テストの解き直し、あるいは学校で配られた問題集を繰り返すほうが手っ取り早い)。あとは、読書にも励むようにしたいですね。読書感想文のような厄介なものが出される可能性もあるが、そのときは・・・。



先日、私自身の高1時代に関する記事を2本

http://challenge50000.blog.jp/archives/31759726.html
http://challenge50000.blog.jp/archives/31759943.html

投稿させていただきました。

仮に今、私が「高1」をやり直すとするなら、どんなことに力を入れたいのか、を書いてみました。以下の5点に絞って、考えてみたいと思います。

1)大学受験対策は「英単語を覚える」ことから始める

2)国語力の大幅UPに努める(語彙力を増やす、読書に励む、ブログを書く、ほか)

3)「受験に使う予定のない」科目も、定期テスト対策はなるべく手を抜かない

4)(苦手意識のある)体育などの「副教科」では、日頃の授業課題を誠実に取り組む

5)夏休みについて、高1・2のときはできるだけ遊ぶ


1)高1からの大学受験対策としては、「英単語を覚える」ことから始めるほうが良さそうです。英語はどの学部・学科を受験するにも必須で、「英語を制する者は受験を制する」と言われ、そのためには単語力を増やすほうが近道のようです。しかも、「英単語を覚える」ことは単純な作業で、コストパフォーマンスも良いので。

単語帳1冊自分で買い、高2の夏休みあたりまでに一通りカバーするぐらいの感じでやると良いでしょう。

リーディングと文法は授業の予習・復習をまめに行い、定期テスト対策や宿題はもちろん手を抜かないこと。和訳(英文解釈)の宿題がどっさり出されたときは、正直厄介ですが、自分の英単語力の確認、および増強する機会として利用すればよいでしょう(あまりにも量が多すぎる場合は、友達のノートを写すなり、模範解答を見るのもあり。でも、できるだけ自力で解きましょう!)。


2)国語力を伸ばすには、やはり読書量も大きく左右するようです。語彙力を増やすには、漢字・語句の問題集に取り組むのも、それなりの効果はあります(1冊の問題集を何回も繰り返すことが大切)。国語に限ったことではないが、必要なら、中学校の参考書・問題集をやり直すのもありです。わからない語句に出会えば、辞書を引く癖をつけること。

私個人的な経験として、国語力を伸ばす原動力の一つは、いつもブログを書いていて思うが、

「もっと豊かな表現力を身につけたい!」

というモチベーションのような気がしています(こればかりは、人によって違うでしょう)。そのために、多くの漢字や四字熟語を覚えよう、という目標意識が高まり、言葉への興味関心を高め、さらに読書に励もうということにつながると思います。表現力の豊かさは、「国語」の成績UPにとどまらず、他教科(特に英語)の学力向上にも結びつくでしょう。そして学業あるいは知的な面にとどまらず、人間関係・友達関係やコミュニケーションを上手にやっていく力にもなるはずだし、何よりも人間的な魅力UPにつながるでしょう。

読書に関して具体的なことを言えば、今の私だったら小林秀雄の文章に挑戦したいところ。

古文については、英語と同じ勉強法(すなわち、古文単語・文法を覚える)で良いでしょう。


ずっと以前から考え込んでいるんだが、大阪府内に「文学部」のある大学は少ないのではないかという気がしています。「文学部」のある大学といえば、隣の京都府や兵庫県のほうに多くて羨ましい、と勝手に思い込み、ある種の変な「コンプレックス」みたいなものを抱えてた頃があります。

実際、大阪府下に「文学部」の設置されている大学はどれだけ存在するのか、調べてみました。出典は、

https://shingakunet.com/searchList/ksl_daitan/ksm_12/area_kansai/ken_27/?af=2

で、以下が挙げられます。

大阪大学
大阪市立大学
関西大学
大阪大谷大学

ぐらいでしょうか。しかし、日本で二番目規模の都市であって、こんなにも少ないとはびっくりです。「文学部」と同類の「人文学部」「文芸学部」なども含めると、 もう少し増えますが(近畿大学ほか)。それでも、大都市圏に属する他の都府県(東京・愛知・京都・兵庫ほか)に比べて非常に少ないことには変わらないでしょう。

私個人的に気になるのは、都構想と連動した大阪市立大学と大阪府立大学の統合の動き。府立大は主に理系学部(工学系、生命環境科学、地域保健など。旧工・農・社会福祉・経済学部ほか)中心の実学志向、市立大は理系・文系がバランスよく配された総合大学で、特に文系学部(法・経済・商・文)と医学部が強いように見えます。大学統合により、市立大の特に文系学部が切り捨てられるのではないか、と懸念や不安が根強いようで、私もそれが心配です。

今こそ、従来の理系・文系の枠組みを超え、学際性重視の「教養学部」系の復活が望まれるところでしょう。従来の「文学部」は、文学や歴史の好きな人が行くところというイメージが強く、国語が苦手だという人間には敷居が高いように感じられます。理系出身で高校までの国語は得意ではなかったけど、文学・哲学・歴史などを勉強し直したいと熱意ある社会人などにも、大学で人文科学をはじめ幅広い教養(リベラルアーツ)を学び直す機会がもっと広く開かれるべきで、その需要に応じるに最適といえるのは「教養学部」でしょう。

どうも平成の30年間、日本の大学が全体的に職業と直結する実学実利志向に偏重、実用と縁が薄いと見られる文学・歴史・哲学などが片隅に追いやられる反知性主義の傾向が強まり、その影響が人間文化や地域社会の荒廃、戦後民主主義の危機、種々の社会病理現象に顕現化していると感じます。バブル崩壊により、昭和日本の誇るべき財産である「一億総中流社会」が切り崩され、特に「痛みを伴う構造改革」「グローバル化」を謳う小泉・竹中の台頭以降、「もうけ第一」の規制緩和や民営化が目白押し、特に非正規雇用の拡大・常態化で経済格差・貧困が凄まじく加速化し、庶民は青息吐息。「今だけ・金だけ・自分だけ」の歪な考え方が社会全体に蔓延、アベノミクスを経て現在に至ります。第2次安倍政権7年間にわたる、露骨なまでの国会民主主義無視・独裁政治は、戦後の民主主義体制はおろか、戦前の大日本帝国憲法体制でさえも経験がないのではと思うほど、悲憤慷慨です。

政治・経済のことに逸れてしまいましたが、「教養学部」は、今も東京大学駒場キャンパスに健在です。日本トップの大学と位置づけられる東京大学ですが、よくメディアやSNS等で、「東大出身の政治家・官僚はダメだ」「東大の世界的評価が落ちた」などのネガキャンを見かけます。しかし、教養教育を大切に守る東京大学の精神は、もっと前向きに評価されて良いでしょう。


萩生田文科相の「身の丈」発言を引き金に、受験生の経済的格差など問題だらけと批判が強まった大学入学共通テストでの英語民間試験。

この件について、高校生の生の声を背景に、野党が国会内外で論戦を展開、 来年度からの実施を延期に追い込みました。

さらに、東大が方針を転換、副学長が英語民間試験を入試の出願要件から排除する方針を示したとのこと。英語ばかりか国語・数学の記述式問題も欠陥が指摘されており、そちらの利用も再検討するといいます。

野党も東大も、これはGood Jobだと思います。


東大が方針転換 英語民間試験に突き付けた「No!」の波紋(日刊ゲンダイ)
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/264591





 
文学部のゼミとはどのようなものなのか、知りたかったので、Youtube動画を拝聴してみました。

大学の文学部は、哲学科・史学科・国文学科・英文学科から構成されるのが一般的基本的です。大学によっては、心理学科や地理学科が置かれているところもあります。最近では、マスメディア関係や「情報」と名の付く学科・コースを設置されるところすら存在します。

さて、文学部といえば、一人で黙々と本を読む、文学好きの人が行くところだ、というイメージが強いのかもしれません。それも一面では当たっているでしょう。ただ、近年では、仲間や有志で同じ本を読んで語り合う(輪読)とか、グループで調査活動や発表(プレゼンテーション)に取り組むなど、チームワークで問題解決することを重視する傾向が強まっているようにも見えます。古典をひたすら読み耽るという昔のイメージとは、かなり違うのかもしれませんね。


2019年のノーベル化学賞に、旭化成の吉野彰名誉フェロー、米テキサス大学のジョン・グッドイナフ教授、米ニューヨーク州立大学のマイケル・スタンリー・ウィッテンガム教授の3氏が受賞しました。

今回のノーベル賞の授賞理由である「リチウムイオン電池の開発」は、私たちにとって身近なアイテムであるパソコン・スマホ、デジカメ、そして電気自動車、太陽光発電ほか、民生技術への応用範囲が広くてわかりやすいため、とりわけ興味を感じました。

リチウムイオン電池は、 繰り返し充電して使える小型・軽量で高出力の蓄電池。リチウムイオンを使った蓄電池の基本原理はウィッテンガムによって発見されました。これを踏まえ、グッドイナフ氏は1970年代後半、コバルト酸リチウムを用いてリチウムイオン電池の正極の開発に着手。これによって、電圧を高く出来ることを発見され、1980年に発表。この成果を生かしてリチウムイオン電池を作ったのが吉野氏です。負極に炭素材料を用いる方式を開発し、リチウムイオン電池の原型が出来上がります。

1985年にリチウムイオン電池の基本特許を出願ののち、1991年にソニーが世界に先駆けてリチウムイオン電池が商品化されました。リチウムイオン電池は1990年代半ばより、ポータブルCDプレーヤーやノート型パソコン、携帯電話、スマートフォンやデジカメなどのIT機器に搭載されて普及、今日のインターネット社会を支える基本的な技術となっています。全世界規模でのインターネット・モバイル環境の整備は、従来の中央集権・タテ型社会から、無名の地球市民たちが横につながるネットワーク社会へと変えつつあります。

リチウムイオン電池は、電気自動車、太陽光発電や人工衛星などにも活用されています。気候変動などの深刻な地球環境問題の解決の手段として、電気を蓄えることのできるリチウムイオン電池の役割が大きく、持続可能な社会の構築に貢献するだろうと期待されています。


ノーベル化学賞に旭化成・吉野彰氏ら リチウムイオン電池開発(日本経済新聞)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO50800270Z01C19A0I00000/

ノーベル化学賞に吉野彰さんら リチウムイオン電池開発(朝日新聞)
https://www.asahi.com/articles/ASMB93HNJMB9ULBJ002.html

【2013年07月04日紙面】(探求人) 旭化成フェロー・吉野彰さん リチウムイオン電池を開発(朝日新聞)
https://www.asahi.com/articles/SDI201410066932.html



国語の勉強法に関する本を1冊紹介したいと思います。

国語にせよ、英語(外国語)にせよ、基礎となるのは語彙力、ということを実感しつつあります。

英語について、知らない単語ばかりだったら、読み書きは覚束ないでしょう。まずは単語を覚えることから始めるほうが良いと思います。大学受験英語を制するには、単語6,000個を覚えると対応しやすいでしょう。

国語も同様。漢字の読み書きを抜かりなく取り組むことでしょう。大学入試対応なら、『金の漢字』もしくは漢字検定(2級)のテキストをこなすことをお勧めします。入試の現代文では、難しい漢字やカタカナ(和製英語)も多く登場するが、頻出するキーワード・用語集も沢山出ているので、そちらも副読本として持っておきたいもの。

それと、電子辞書もぜひ入手したいもの。わからない言葉に出会えば、辞書を引くことを習慣づけることです。もちろん紙の分厚い辞書でも良いが、電子辞書があると携帯にも便利でしょう。専用の辞書機器を買うのでも構わないし、お手持ちのスマホ・パソコンにもアプリとしてインストールされていると思われるので、使いこなすようにしましょう。

ここで紹介する本の巻末に、四字熟語・慣用句・難熟語・カタカナ語が資料として掲載されているので、活用したいものですね。


 


大学の教養科目として哲学の講義を履修する学生は多いことと思います(文学部哲学・宗教系専攻の学生なら、当然、必修科目でしょう)。私も1回生の時に哲学を履修しました。実際に講義を聴いた感想は、何のことかチンプンカンプンで、大講義室の中で私語が凄まじかったこと、ぐらいですかね。テストの点数も合格点ギリギリでした。

そもそも、高校までに「哲学」といった科目がなかったため、大学に入っていきなり哲学の講義を聴いても馴染めない、あるいは哲学とは何を学ぶものなのかを全然知らないのも、無理はないと思います。

ただ、高校の教育課程において、大学で学ぶ哲学を知る上でヒントになりうる科目はあります。それは社会科の「倫理」という科目です。社会科といえば、日本史・世界史・地理・政治経済・現代社会を連想されることでしょう。実際、大学入試で日本史・世界史を選択する受験生がダントツに多いのは周知の通りです(暗記することが膨大で嫌いだという人も少なくないですが)。それに比べて、倫理はあまり見向きもされておらず、履修したという人は多くないでしょう。

しかし、センター試験で「倫理」を受験することは可能です。「倫理」で何を学ぶのかといえば、宗教・西洋思想・東洋思想・日本思想に関する知識、および人間・社会のあり方を根本から問うことでしょうか。ソクラテス・プラトン・デカルト・ニーチェほか、世界の哲学者や思想家が何を説いたのか、ということが、この科目の主なテーマだと思います。

大学の哲学や宗教学などの講義がわからなくて困ったら、高校の倫理の教科書に目を通すのは一つの解決方法かもしれません。試験やレポートの点数が思わしくなくて悩んでいる学生も少なくないようですが(私もその一人だった)、理由として、そもそも哲学に関する基本的知識・理解が足りないのか、あるいはレポートや答案の書き方そのものを知らない、ということが考えられそうです(哲学の成績が思わしくないことを才能のせいにしたり、「僕は理系だから」などと理由をつけてあきらめてしまうのは、少しもったいないのではないか)。基礎知識が足りないと思うのなら、高校の倫理の教科書を読むのでもよいし、レポートの書き方に自信がないなら、「レポートの書き方」の本はいっぱい出ているのだから、それを参考にしながら書く練習をすることでしょう。レポートの書き方については、可能なら添削してもらうほうがよいでしょう(最近では、新入生向けに「大学生入門」とか入学前教育などと銘打って、レポートの書き方から指導する機会を設けているようだ)。




 


高校の社会科といえば、「日本史」「世界史」「地理」「現代社会」「政治経済」などを連想されるものと思います。大学入試でもこれらの科目を選択するのが一般的ですね。

マイナーですが、実はとても大事と言うべき科目があります。それは「倫理」。

「倫理」で何を学ぶのかといえば、人間の生き方、自分とは何か、人間と社会との関わり、というのでしょうか。もう少し難しい言葉でいえば、哲学・思想・宗教・論理学・道徳・・・。高校の授業で教わっても、何のことかわからないかもしれませんが(もちろん、興味のある人には面白いでしょうけど)、実は大学の人文・社会科学を学ぶ基礎として非常に重要だと思っています。大学の哲学・宗教学・論理学・心理学その他の講義を聴いて理解しづらければ、高校の「倫理」教科書・参考書を勉強し直すのも良いでしょう。

大人になって人生経験が堆積するに伴い、高校の「倫理」を学び直したいということも、もちろん自然なこと。10代の頃は何のことかさっぱりだったけど、今改めて勉強すると興味が湧いて面白いでしょう。

私の高校時代、「倫理」に近い内容を「現代社会」で学んだかと思います。実を言うと、受験に使う予定がないからと、この科目には手を抜いていたが、今から思えばもったいないこと。もう少し熱心に授業さえ聴いていたら、大学の人文・社会科学系科目で「優」を取ることも可能だったのでは、と思っています。




 


「生きた英語」という言葉をよく聞きます。

「生きた英語」とは、リーディングや難しい単語・文法の暗記が中心の、いわば苦痛で堅苦しい「受験英語」とは異なるものをイメージすることでしょう。それは、日常会話やコミュニケーション中心の「楽しい英語」と言い換えることができるものと思います。「生きた英語」を英語にすれば、

living English
natural English

などと表現できます。"living English"は直訳的ゆえ今一つ意味がわかりにくいですが、よく言われる「生きた英語」には"natural English"(自然な英語、ネイティブな英語)のほうが意味が通るでしょう。

大学に入ると、「受験英語」から解放され、「生きた英語」を学べるものと期待していました。しかし、大学の英語の授業はリーディング中心で、高校までの英語の授業とあまり変わらず失望。実を言うと、大学の英語の授業がつまらなくてサボったことがありました(→親にバレて面倒臭いことになりました)。会話中心の英語を学ぶ場所や教材を模索しましたが、費用はかかるし、NHKラジオの英会話を聴いても継続せず、中途半端に終わる始末。

最近、「受験英語」の価値を見直すようになりました。高校卒業までに学んだ英語は、大学入学後そして社会人になってからも、いろんなところで一生役に立つということに気づきました。大学・大学院において、専門分野の論文は基本的に英語で読み書きしなければなりません。世界の情勢を知るためにも、日本のメディアは信頼が置けず、海外発の英語記事を読めると有利でしょう。日常会話は中学レベルの単語で十分だと言われており、受験英語をカバーしていれば豊かな語彙力・表現力を駆使して充実したトークができるはずです。ただ、それ以前に、日本語(国語)の表現力を身につけることが前提でしょう。小学校・幼稚園からの英語教育も良し悪しです。




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小学校から高校時代の早朝登校の思い出を。

小学校の早朝登校といえば、奈良の遠足の日を思い出します。わざわざ不便な国鉄片町線(→学研都市線)に乗るために、通常の登校時間よりも1時間ほど早く集合でした。確かに、片町線経由は地元から奈良への最短経路ではあるが、当時、片町線は長尾-木津間非電化で列車本数も少なく、長尾で気動車に乗り換える必要がありました。上の画像は、祝園駅停車中のキハ17系ですが、小学校の当時はキハ35系が主力となり、キハ20は風前の灯でした。木津で奈良線からのキハ35系に乗り換えて奈良へ。猿沢池、東大寺と大仏殿などを見学したあと、奈良公園の草原で弁当を広げながら鹿と戯れるという行程でした。帰りの片町線ではキハ40に当たり、ロングシートのキハ35系とちがって、快適なボックスシートでした。

中学校の早朝登校といえば、運動部の朝練を連想することでしょう。私は運動部は苦手なので入らなかったが、体育祭準備のための早朝登校がありました(たぶんクラスでの応援練習だったと思います)。私個人的に、学校行事全般的に、小学校の時のほうが、体験学習的な要素があったり、目的地への交通手段も鉄道中心ということもあって、いろいろ楽しかったように思います。中学校だと、体育祭にせよ校外学習やキャンプ合宿にせよ、個人の興味・関心よりも、集団行動そのものが主な学習テーマになっている気がするが、それは社会人になるために必要な練習なのでしょう。(英語・数学などの勉強だけでなく)共同で作業するということ、周りの状況に合わせるということ(いわば「空気を読む」ということ)などを、もっと意識して積極的に取り組めば良かったと反省しています。中学校時代(思春期)は、子どもから大人(成人)になるために、とても重要な発達の時期なのですから。

高校時代は毎週1回の早朝登校をしていました。数学の(特別)講習を受講したためです。希望者だけの参加で、私は数学が好きなので、受講しました。この数学講習で学んだこととして一番印象に残っているのは、虚数・複素数を初めて知ったことです。中学3年のときに、平方根(2乗して n≧0 になる数)という新しい数を学び、これが2次方程式や三平方の定理など中学数学の完成、および高校数学に直結するものです。この特別講習では、「負の数の平方根」すなわち「虚数」という、さらに新しい数を学び、それは3次方程式の解法とも結びついて面白かったです。また、実数と虚数を合わせて「複素数」という数そのものは、平面(2次元)座標で図示することが可能で(実数は1本の数直線上で表示できることに対応)、2年で習う平面ベクトルとの対応性も良く、物理や工学の世界においても応用範囲が広いです。

数学講習でもう一つ面白いと思ったのは、線形計画法。1次不等式で表される制約条件のもとで、別の1次式の最大値・最小値を求める、言い換えると「最大利益、最小損失」を計算する問題で、企業経営や商売での応用が可能です。こちらは、興味のある文系学生向けの応用ネタに使えるでしょう。


大学入試の国語(現代文)には、漢字の読み取り・書き取り問題が必ず出題されます。

漢字知識の問題の配点自体は低いですが、覚えると確実に点数が取れます。文章読解問題の出来不出来も、漢字の知識量(語彙力)によってかなり左右されるように思います。 漢字を知らないと、大学入学後および社会人になってから恥をかくことになるので、漢字の勉強にも手を抜かずに取り組むことをおススメします。

大学入試のための漢字の参考書・問題集としては、「金の漢字」がおススメです。大学生や社会人も、必要ならこの参考書を使ってやり直すのもありです。



国語に苦手意識があるのなら、中学校(高校入試)の参考書をやり直すのも良いでしょう。そもそも、国語の勉強法がつかみにくいもので、「生まれつきの能力」だと諦めてしまいがちで、それゆえ小学校や幼稚園レベルからやり直さないといけないと考えている人もいるかもしれません。しかし、中学レベルからの復習で十分でしょう。中学で習った漢字・語句・文法から文章読解(古文・漢文を含む)まで一通りこなして自信を付けてから、大学入試用の参考書に入るのでも遅くはありません。

漢字力をつけるのなら、漢字検定を取るという方法もあります。高校生・大学入試レベルなら、2級が一般的な線でしょう。



受験は暗記

かつて、「暗記」をなめてかかっていた私・管理人ですが、
今ではそれは正しく、なおかつ学問を究めるための王道であるとさえ、思うに至りました。

一番わかりやすい例は、英語(外国語)でしょう。
外国語はとにかく単語をどれだけ覚えているかによって、理解力や表現力が決まると思います。

他の分野・科目についても、理解や問題意識、新しいひらめき・アイデアなども、基礎となる知識が前提条件でしょう。自然科学・工学・医学系に進むのなら、当然高校で習う数学や理科(物理・化学・生物・地学)の知識は絶対必須だし、人文・社会科学についても、国語力や地歴・公民(そして数学)の知識があやふやだと、相当厳しいように思います。

もっとも、「知識の豊富さ」だけが自慢の、いわば「知識オタク」に終わっててはダメですが。

暗記は確かに面倒くさい作業ですが、気合いを入れ、努力の方法さえ間違えなければ、誰でも報われるもの。
才能や貧富の格差、老若男女、出自などに左右されるものではありません。
必要なのは、本人のやる気と(意味のある)努力だけです。

その意味で、大学受験は公平で平等な選抜試験の一つだと言えますね。
(裏側では不正や差別選抜も行われることも普通にあるそうだし、
最近では推薦・AOといった選抜方法も取り入れられ、複雑でややこしくなっている嫌いもあるが)
4千年も昔に作られた中国の科挙は、民主的な選抜制度だと、歴史的にもっと評価されるべきでしょう。


高校入学の皆様、おめでとうございます!

さっそくですが、大学進学(特に難関大)を考えている新・高1生の勉強をどうするのか、ということを書いてみたいと思いました。

1)英語・数学・国語に力を入れること

これは理系・文系とも基本的に共通です。

◎英語
「英語を制する者は受験を制する」と言われるように、英語はどの大学・学部・学科でも入試で必須です。英語は、単語を覚えることから始めるほうが効率的でしょう。単語帳を今すぐ購入することをおススメします。難関大合格を目指すなら、覚える単語数は6000~8000個が目安でしょう。長文読解・リスニング・英作文も、結局どれだけ単語を覚えているのかが勝負であり、「単語を覚えるだけ」の勉強なら、部活その他で忙しくても容易くできるので、ぜひおススメしたいと思います。

もちろん単語を覚えるだけではダメで、文法もしっかり学ばなければならないが、文法は学校の授業をしっかり聴くと良いでしょう。文法と並行してリーディング(長文読解)の授業もあるが、リーディングは教科書を音読して予習するのが一番だと思います。もちろん、わからない単語が出てきたら、その都度覚えること。

◎数学
英語とともに力を入れてほしいのは、数学でしょう。理系では数学はもちろん必須だが、文系も難関大を志望するなら、数学にはかなり力を入れるべきです。

数学については、学校の授業をしっかり聴いて、公式・解法を覚え、かつ理解することが一番。余力があるなら、もちろん公式が導出される過程(証明)を理解するほうが望ましいでしょう。問題集も学校配布のものをやり込むと良いでしょう(どうしても自分で問題集を買いたいのなら、「チャート式」が奨励されています)。まずは定期テストで高得点をめざすことです。数学が嫌いだったら、問題の解法を「暗記」してしまう、というやり方もあります。

特に数学に関しては、自分で問題集を買って難問に挑戦したいという人もいるかもしれません(実は私自身そうだった)。しかし、大学受験の戦略としては、高1の時点では、数学の難問・奇問に深入りするより、英語の単語帳を買って毎日5個10個覚えるほうが得だと思います。そもそも、「高1で習う範囲だけ」(=数I・A)での難問が大学入試に出題されることは、そう多くはなさそうです。理系は数Ⅲ・C、文系は数Ⅱ・Bまでの範囲の基礎・標準的レベルの問題を着実にすることが第一です。それは、数I・Aが基礎になっていることは言うまでもありません。

◎国語
国語は、私大理系専願を除いてほぼ必須です。国語については、苦手意識があるのなら、中学校(高校入試)の問題集をやり直すのもありです(英語・数学ももちろん共通ですが)。根本的な解決法としては、やはり読書することでしょうか。ただ、大学入試の国語は、現代文・古文とも、「解答は本文中にある」、すなわち、本文の内容と違うことを答えても0点、ということを覚えておいて損はないでしょう(このことは高校の国語の授業では教えてもらえないでしょう)。要求されるのは、すなわち、客観的に文章を読み取り、論理的に理解する力。現代文については出口さんの参考書・問題集を買うことをおススメしたいと思います。現代文の読解力を上げるためにも、漢字・語句の知識は必要なので覚えること。入試で漢字の読み・書き問題は必ず出題されます。

古文は、外国語(英語)と同様の方法、すなわち単語と文法をしっかり覚えるほうがやりやすいと思います。古文は学校の授業第一で良いでしょう。


2)先取り学習はどうするか(主に理科)
理系進学希望の高1生に、理科の物理などを先取り学習したいという人もいると思います。私も実際そうでした。しかし、物理を独学でやるのは大変難しいようです(ただし、一度基礎を理解してしまえば、安定的に高得点を取りやすいです)。私も物理を選択しましたが、挫折しかけました。物理は数学と勉強法は基本的に同じ感じですが、数学のように単純に公式にあてはめて計算すればよいというものではなく、数式・方程式が表す自然現象(力・熱・波動・電気)の意味を理解することが第一でしょう。高1の時点では、理科について余計な心配をするより、英語・数学(そして国語)に力を入れるほうが良いでしょう。高1の理科は、暗記中心の生物・地学のところが多いようで、暗記が嫌いだという人には面白くないかもしれません。

文系志望者も、共通テストで理科を必要とする場合、数学に自信があるなら、暗記量の少ない物理を選択すると「お買い得」と言えるかもしれません(英語・古文・社会科で暗記することが多いので、数学や理科で差を付けるのも有り)。


3)受験に使わない科目、副教科(芸術・保健体育・家庭)は
文系志望で数学・理科はいらない、理系志望で社会科2科目以上もいらない、という人も多いでしょう(本当は文系志望者にも数学・理科を積極的に選んで差を付けることをおススメしたいですが)。副教科はなおさらですね。

まず、「赤点」だけは避けること。赤点を取ってしまうと、親(保護者)の呼び出しとか補習を食らう、クラスの笑い者になる、ということにもなりかねず、面倒くさいです(特に社会科の点数があまりに悪いと、目立ってしまうようなので注意)。受験に使わない科目や副教科も、本当は平均点以上を目指すのが理想的ですが、そんな余裕もないという人も多いと思います。とにかく、授業を真面目に聴くこと。受験に必要ないからと、適当にやっていては、将来後悔することになると思うので、授業だけでもしっかり聴くことをおススメします。

私個人的に、家庭科は大学入試共通テストの1科目として設定するほうが望ましいと考えています。家庭科といえば料理・裁縫・洗濯などをイメージされやすいが、理論編として食品の栄養と安全性、食品添加物の問題、消費者としての権利と知恵も学ぶことになっており、大学入試の問題にしやすいし、受験生も家庭科を受験で使うとなれば、真剣に勉強して若者の社会・政治参加への意識を高めることにもつながると思うので(社会科の公民・現代社会などよりも、親しみやすくて有益ではないかと思う)。


今春、大学入学が決まった方、おめでとうございます。

待ちに待った大学生活への期待と楽しみがいっぱいでしょう。

あるいは新しい大学生活が不安、という人もいるかもしれません。例えば、

大学の勉強はどうすればよいのか、
何を勉強すればよいのか、
レポートって何を書いたらいいのか、
友だちはうまく作れるのか、

といった不安はあるかと思います。

大学の勉強は、高校までの勉強、受験勉強とは確かに異なる点も多いです。

まず、好きな科目を履修し、自分の好きなように時間割を作れるのは、大学生の一つの自由でしょう。朝一番に登校しなくても、極端な話、午後からの登校だって可能です。

一方、大学の試験やレポート課題は、高校までのように、記号で答える選択式問題や空欄を埋めるといった形式とは大きく異なり、(特に文系分野では)自分の考え・意見を含めて文章を書く能力が求められます。それも小中学校の作文とはちがうもので、客観的事実に基づいて論理的に筋道を立て自分の考えや主張を他人に伝わるように書く力です。いわば論述式・論文式というものですが、それをどうすればよいのかわからない、という学生も少なくないようです(入試で小論文を経験した新入生なら、レポート・論文形式の問題には慣れていると思いますが)。理系においても、実験では、観測データや確認された現象に基づいて考察を加え、法則性を見つけ出すなり検証し、レポートを書き上げる能力が要求されます。

大学入学前に、一度『大学生 学びのハンドブック』に目を通しておくのもよいと思います。



 

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