カテゴリ: 社会問題・人生論・人間関係・教育・学問


やはり私は自分のことを「陰キャラ」だと思っています。

「陰キャラ」といえば、暗い、大人しい、地味、口下手、不器用、冗談が通じない、といったキャラクターとして語られることでしょう。中学・高校・大学時代そして社会人になっても、友達が少ない、人と付き合うのが不得意、モテない原因を、自分の「陰キャラ」それ自体にあると長年思っていました。しかし、 どうもそれは違うんじゃないか、と思うに至りました。

確かに「陰キャラ」の人は、一般的に人間関係はあまり上手でないというのは、間違っていないでしょう。しかし、「陰キャラ」だからといって、決してモテないわけでも、付き合いが下手というわけでもないはず。「陰キャラ」なら「陰キャラ」なりの上手なやり方があるでしょう。むしろ「陰キャラ」なら「陰キャラ」で別に構わないんじゃないか、と開き直って良いと思います。

では、何が間違いだったのでしょうか。もともと「陰キャラ」のはずなのに、自分を正反対の「陽キャラ」に変えようとする、無理して「陽キャラ」らしく振舞う。もっと一般的に言えば、自分の意思をはっきり表示できないために誤解や混乱を招いてしまう、自分に相応しくないこと・できないことを買って出て中途半端に終わる、というところに問題がありそうです。

中学・高校のとき、取り巻きから囃されて学級委員に立候補したり、「意識高い」系な自己顕示欲を満たしたい不純な動機もあって文化祭実行委員会を買って出た経験があります。いずれも自分に相応しい役とは言えず、結局立候補から降りたり、実行委員の活動も中途半端に。クラス担任に良からぬ印象を与え、「いじめ」の口実を作ってしまったようです。

学級委員や文化祭のリーダーよりも、「陰キャラ」な自分に相応しい役割や仕事は他にあったはず(リーダーの仕事は、統率力のある人間でないと辛いだけでしょう)。自分が取り巻き連中の言いなり(パシリ役)になっていたことも、モテなかった原因の一つだと反省しています。自分の「天命」に従って一生懸命やっていれば、理解や協力の手を差し伸べてくれる人はきっと現れることでしょう。うまくいけば、彼女もできたかもしれません。

大学(そして大学院)でも、勉強もバイトも遊びも部活もその他諸々、中途半端に終わったと不満だったけど、一心不乱に本業の勉強に専念するほうが一番良かったと考え直しました。学業以外のことでも、やるなら一つのことに徹底してとことん取り組むべきでした。あれもこれもと欲張っていては、何一つ成し遂げられず中途半端になるだけでしょう(「何をやってもうまくいかない」とはそういうことでしょう)。「勉強ばかりなんて暗い」、「こんな難しい学問なんて何の役に立つねんな」という周囲の妙な圧力の影響もあったと思うが、それに弄ばれる自分にも責任はあります。

それから、専門以外の興味のある分野については、まず片手間で独学から始めるほうが良いと思いました。承認欲求と言う名の勘違いから、交流・コネ作り・自己PRとばかりに、やたら畑違いの講義に潜り込んだり、セミナーや研究会にノコノコ顔を出したりするが、あまり感じ良くなかったようだと反省。そんな枝葉末節なことに労力を注ぎ込むよりも、独学で少しずつ知識を身に付ける方が、確実に力が付き、やがて堂々と戦えるようになりますね。


親しい友人や仲間であっても、メール等の返信が面倒な時があります。

実を言うと、今年の春、ある知人からのメールへの返事に気乗りがせず、数ヶ月間放置して忘れかけたある日、文句ぶちまけの一言メールが来ました。こうなると、さすがにこのまま無視できないので(その人を敵に回したら怖いということもある)、筆不精のお詫びメッセージを送りましたが・・・。

* * * *

誰でもメールの返信が面倒と思うことはあるでしょう。そのときはどうすればよいのでしょうか?

基本的に短い一言メッセージだけでも送るほうが良いと思います。文面例は、

メールありがとう。今はしんどいので、またあとで連絡するね。

ぐらいが良いでしょう。やはり無視・放置は相手の気を悪くするので失礼ですね。反省しています。

これと逆の立場ですが、昔自分が身の上相談のメールを頻りに送り付けていたことがあり、返事が来ないと「嫌われたんじゃないか」と焦燥に駆られた経験があります。

あまりしつこい非常識なストーカーの場合などは、無視や着信拒否で構わないでしょう。

* * * *

3年前の大阪北部地震で、Twitterの安否確認メッセージが来たときも、まるで返事を急かされているようで正直しんどかったですね。こういうときは、

お気遣いありがとう。こっちはお皿何枚か割れたけど大丈夫でしたよ。落ち着いたらまた連絡しますね。

の一言を返しておけば良いと思います。


高校の「世界史」を学び直したい人に、おススメと思う本を1冊挙げてみました。





 
この本1冊で「世界史」の流れを掴むことができると思いました。世界史を楽しく覚えるには、地理(地形、領土、国境、産業、気候)と歴史(その「場所」で起きた世界史上の事件)をリンクさせると良さそうです。例えば日本へのキリスト教伝来の突破口を開いた15~16世紀大航海時代の大まかな流れは、次のように理解すると良いかもしれません。

【主役となる国】:スペイン・ポルトガル

【スペイン】
コロンブスが世界航海の際、アメリカ大陸=「新大陸」に到達(1492年)
      ↓
新大陸の経営に乗り出し、南米アステカ帝国・インカ帝国に侵入 
      → 中南米の伝統的文明を滅亡に追い込む

【ポルトガル】
黄金・奴隷を求めてアフリカ大陸に乗り出す
      → バルトロメウ・ディアスが喜望峰に到達(1488年)
        ヴァスコ・ダ・ガマがインド航路を発見(1498年)
      ↓
南米ブラジルを征服し植民地に
      → 工業製品を輸出、砂糖を輸入
      ↓
アジアへの進出も果たす
      → ゴア(インド)を占領(1510年)
        マラッカ・セイロン島を発見(1511年)
        明(中国)との交易を開始(1517年)

【両国間の関係】
船団の到着する先で両国間の争いが起こる
      ↓
ローマ教皇が子午線を両国統治の境界線に分ける(教皇子午線) 
      → トルデシャリス条約
      ↓
ブラジルが南米唯一のポルトガル語圏となる

【その後】
フェリペ2世がポルトガルをスペインと併合(1580年)
      ↓
植民地帝国スペインの繁栄も長く続かず
  (原因)
  オスマン帝国やイギリスとの海戦に敗北
  オランダが重税に反発し独立戦争に乗り出す
  ドイツの宗教改革(1517年~)
      ↓
オランダ独立 → 最新の造船技術で国際社会の舞台に踊り出る
イギリス・フランスの台頭、世界覇権の移転




本日8月15日、終戦記念日です。日本そして世界で6千万人とも言われる犠牲者の方々に哀悼の意を表します。

眼前の社会情勢は、ちょうど76年前の戦争末期のイメージと重なる、死屍累々の火の海と感じられることでしょう。76年前は空襲で日本列島が焦土化し、さらに広島・長崎に原子爆弾まで落とされ、多くの尊い命が奪われました。

時代が下って2021年のいま、新型コロナの爆発的感染は留まるところを知らず、収束の出口が見えてきません。医療崩壊寸前の状態でもはや災害級と言うべき惨状です。

それなのに、緊急事態宣言かつ酷暑のもとで東京五輪2020を強行開催しました。専門家の予想と警告を上回るペースで感染者数が爆発的に増え続け、医療崩壊を横目に政府は原則自宅療養を打ち出す始末で、もはや制御不能の窮状です。

五輪が閉幕して一息ついたと思いきや、その後一転して台風や秋雨前線が日本列島を襲って集中豪雨に見舞われ、九州・山陽地方から近畿・北陸・関東の広い範囲で被害が広がり、踏んだり蹴ったり。今度の集中豪雨は3年前の西日本豪雨に匹敵する規模と言われています。被害に遭われた方には重ねてお見舞い申し上げます。

8月中旬といえば本来、暑い夏空が広がる天気のはずなのに、今年は北のオホーツク海高気圧が張り出して、秋雨前線というより梅雨末期に戻ったような異常気象となっています。この大雨の降りやすい天気は1週間ほど続くとのことで、先が思いやられるばかりです。

あの「勝つまでは欲しがりません」をわれわれもう一度経験することになるとは怒り心頭ですが、この複合災禍を一日でも早く終息するべく、まっとうな政治や社会を取り戻すよう、できることで力を合わせましょう。


Twitter、Facebook、Lineなどに代表されるSNS(Social Network Service)。

SNSはコミュニケーションツールの一つ。ネットにつながるパソコンやスマホさえあれば、いつでもだれでもどこでも自由に情報発信が可能ですが、SNSの強みは情報を共有・拡散できることでしょう。

SNSはニュース速報やご近所情報、新しいお店や商品の紹介、地震や台風の被災地状況や安否の確認などに効果を発揮します。「Twitterデモ」という言葉もあるように、Twitterランドにて無名の人たちのつぶやきの積み重ねで世論を盛り上げ、政治を動かすことだって可能です。

別の面白い例として、飲み屋でドタキャンが勃発し、せっかく仕込んだ料理が無駄になって大損失が計上されると窮地に陥ったところ、なんとか売り捌こうとSNSで呼びかけてみたら、あっという間に客が集まり、完売御礼で逆にお店の評判を上げて救われた、ということだってあるようですね。

反面、SNSは怖さも兼ね合わせています。誰かが何かしらの不正や悪さを働かせたら、証拠となる動画や写真はSNSを通じて凄まじい勢いで拡散してしまい、一瞬にしてその人の信用を失い社会的制裁を受けることにも。学校は退学処分、会社はクビで損害賠償を突きつけられるばかりか、その問題人物は「ブラックリスト」として業界で共有されることにもなり、人生「詰み」の状態になることは覚悟しないといけません。

SNSで勤務先の機密情報を無神経に流した結果、気づかぬうちに拡散させて大炎上事件を勃発、賠償案件に発展し墓穴を掘るという「バカッター」・「バイトテロ」も社会問題になりましたね。

私自身、当たり前のようにTwtterを使ってきましたが、SNSの原点に立ち返りながら、使い方を誤らず、もっと有効に使いこなせるよう勉強し直そうと、以下の本を借りてみました。










自動販売機でコーヒーやジュース・お茶を買うとき、ごく稀に商品が取り出し口に落ちてこないなどのトラブルに遭うことがあります。 せっかく現金を入れた、あるいは電子マネーをタッチしたのに欲しい商品が出てこないのでは、気分を損ねてしまいますね。

こういうトラブルのときは、どうすればよいのでしょうか? 大体次の2つの行動を取ると考えられます。

1)自販機を管理している会社に電話する(→返金に応じてもらえる)
2)あきらめる


基本的には自販機に記載されている電話番号にスマホで電話することでしょう。大体フリーダイヤルのことが多いはずです(100円前後の商品だけのために、それ以上の電話料金がかかっていては割に合わないですね)。

自販機の番号と不具合の状態、投入した金額(または使用した電子マネーの種類)をオペレーターに伝えます。その後、何らかの形で返金対応してもらえるはず。自販機現場まで出張修理に駆けつけて現金で返金、または金額分の商品券(QUOカードほか)を後日郵送、という形が一般的です。

返金してもらえることはわかっていても、せっかく一服したいときに飲み物が買えないのは、損した気分でしょう。すぐに業者さんが現場に駆けつけてもらえるなら、その場で待って返金してもらうのも良いですが、時間がかかる場合はあきらめて、別のところで購入することになります。

たとえあきらめるとしても、なるべく管理会社に電話を入れるほうが、早く修理に駆けつけてもらうことも可能で、結果的に他の利用者への迷惑を最小限に抑えられ、一石二鳥の親切心と言えるでしょう。もちろん返金にも応じてもらえるので、情けは人のためならずです。

もっとも、偽の障害報告はNGですよ。この手の嘘はすぐバレてしまうもので、虚偽申告罪と業務妨害罪に問われることになります。


本日(2021年7月1日)午前10時30分ごろより、Twitterの調子がおかしいです。

リストやプロフィール欄にあるツイート・画像、フォロー・フォロワーなどの一覧ができず、「再読み込みしてください」などと表示される状態です。原因は不明。

Twitterのこういう不具合、時々起こりますね。

https://news.nicovideo.jp/watch/nw9520492




 


断り方 実践イメージトレーニング
http://route861.livedoor.blog/archives/8155033.html

断り方 実践イメージトレーニング(つづき)
http://route861.livedoor.blog/archives/8835302.html

「断り方 実践イメージトレーニング」の事例をさらに追加しました。

15)【高校時代】数学の夏期講習を受けたかったが、体育(水泳)の補習受講を求められ、泣く泣くキャンセル

16)【20代前半】サイクリング中にDQNな車にイチャモンつけられ、轢き殺されそうになる 

17)大地震のとき、友人・知人から安否確認メールが来て、返事に負担を感じる

18)ブログでコメント欄に間違いの指摘をされるが、文面によっては不快感が先走る


15)体育の補習を真面目に受けることです。「せっかく理数系科目への意欲や熱意が人一倍なのになぜ」という戸惑いや蟠りはありました。しかし、副教科を含め一科目でも単位を落とせば留年することになり、大学入試や就職にも影響が及びます。自分の日ごろの体育の授業態度を反省・改善することが先でしょう。「苦手なりに一生懸命やる」ことです。そうすれば体育の先生の印象は良くなり、点数UPも期待できるでしょう(→この経験は、先の長い人生においても役立つでしょう)。

せっかく申し込んだ数学講習も、数学科の先生に事情を話して、個別に日時を設定してもらえないか、交渉しても良かったはず(プリント・資料だけもらうことは可能でしょう)。どうしても日程が合わないなら、あきらめて独学でいきましょう。


16)その車のナンバーを控え、警察に通報することです。たとえ自転車側に信号無視その他交通違反など非があるとしても、暴力・脅迫は理由を問わず立派な犯罪です。この災難を避けるためにも、無理をせず安全走行が第一です。


17)安否確認メールをくれるのは基本的に嬉しいことですが、諸々の事情あって負担を感じることもあるもの。後片付けに追われるとか、体調が悪かったり、精神的に辛かったりして、返事すら面倒と思うこともあります。気が乗らない場合は、「ありがとう。こっちは大丈夫だよ。また連絡しますね」などと簡潔に済ませると良いでしょう。


18)間違いの指摘には感謝の一言を伝え、直ちに訂正しましょう。単なる揚げ足取り、自説開陳、否定や批判だけ、意味不明な長文ほか意地悪なコメントについては、真に受けずブログ管理人の権限で粛々と処理すればよいでしょう。そもそも人様のブログに単なる否定・批判だけのコメント、本文と無関係の長ったらしい自説コメントを投稿することなど、マナー違反です(→自分でブログを開設して好きなことを書けば済む話)。



久しぶりに本を1冊紹介したいと思います。

蛯子能収(えびこよしかず) 『ひとりぼっちを笑うな』

「ぼっち」を好む人には、手にとってお読み頂ければと思いました。

よく「孤独」「ぼっち」は「負け組」とされる嫌いがあります。私も昔、「友達がいない」「モテない」などと嘆き散らすことがありました。しかし、実のところ、もともと自分は「ぼっち」「孤独」のほうが好きだったようです。仲間に誘われるよりも、自分のやりたいことがある。それは何も悪いことではないでしょう。実際、「ぼっち」「ひとり遊び」が好きだという人は、想像以上に多いようですね。

「つながり」「人付き合い」「絆」だとかと喧伝し、やたら群れたがる人も多いですが、われわれそんな世間の「孤独=負け組」の呪縛にかかっているのかもしれません。

「つながり」「絆」はもちろん良いことでしょう。しかし、「孤独」「ぼっち」にも良さがあると思います。

私も今まで「つながり」の中に入っていこうと、いろんな社会活動や、SNSを通じたオフ会、その他に関わってみました。長続きしなかったものがほとんどですね。でも、長く続かなくても、一時的な協力関係として前向きに捕らえても良いのではないでしょうか。学校時代に親しかった友達も、卒業すれば疎遠になることは、ごく普通のことです。「昨日の友」が裏切って「敵」に寝返ることもあるのが、残念ながらこの人間社会の現実。「去るもの追わず」で構えるほうがよさそうですね。

「孤独は力なり」という言葉があって良いと思います。孤独だからできることがある。自分のやりたいことに打ち込めばよい。自分の興味関心や趣味について周りの人に理解してもらえない、と僻んでしまうこともあるが、地道に続けていれば誰かが見てくれます(もちろん、間違ったことをがんばるのはやめるほうがよいです)。

逆に何でも群れたがる、人にばかり頼る、ちやほやされることにしか関心がない人は、最終的に嫌われるでしょう。

それから、「友達が欲しい」と思うのなら、自分からつながろうと働きかけ、努力すること。好かれるために(あるいは嫌われないために)自分を改める努力も必要ですね。嘆きながらじっと待っても、友達はできないでしょう。




 


今年2021年5月は「異常尽くし」の混沌(chaos)と感じます。

まず、「梅雨入り」が異例の早さであること。まだ5月半ばというのに、近畿・東海以西の「梅雨入り」が宣言。ここ1週間ほど梅雨空が続き、さっそく昨年の大雨で壊滅的被害を受けた九州、そして昨夜から大阪など関西各地でも大雨・浸水・土砂災害が相次いでいます。5月中・下旬でこの災害級の大雨だと、これから本格的な梅雨を迎え、先が思いやられますね。

新型コロナ災禍もいっこうに収束する兆しが見えません。春先までに「第3波」が収まり一息ついたと思いきや、すぐさま「第4波」が襲い掛かり、GW直前に3度目の緊急事態宣言が発令される始末。度重なる外出自粛や休業続きで景況感は悪化する一方だし、各地で医療やインフラ崩壊寸前の惨状です。そればかりか、次々と感染力の強い外来の「変異型」が日本に押し寄せてきています。特に今アジア各国を襲っているという「インド型」は、他に比べて感染力が爆発的で凄まじいようであり、1・2週間後に日本でも否応なしに死屍累々の現実を見せ付けられるだろうと危惧されています。

このコロナの最中、今夏の東京五輪を中止・延期してほしいとの世論が圧倒的多数にもかかわらず、日本政府やIOCは強行する構えのようです。収束しないまま仮に五輪を開催すれば、「コロナ変異株の博覧会」になることは火を見るより明らかで、五輪会場を感染源とする日本発パンデミックを引き起こすリスクが高く、世界中から非難轟轟でしょう。五輪に参加する選手たちも、この不名誉を背負わされることになり、あまりにも気の毒でしょう(実際、参加キャンセルする選手も続出中)。

コロナワクチン接種もようやく高齢者から本格的に始まろうとしています。一方で、ワクチンは危険だ、ワクチンを打つと感染源になる、世界人口削減を狙いワクチンで人類を殺しにかかってきてる、などといわゆる「陰謀論」な界隈から煽り立てられているようです。これが嘘だったら良いのですが・・・。


実を言うと、私は中学1年のとき、誰かに囃されて学級委員に立候補しかけたことがあります。

学級委員とはクラスのリーダーであり、クラス全体をまとめるのが仕事。その責任は重大で、単なる「目立ちたがり屋」では務まるものでないでしょう。

私自身などとても学級委員の器ではないが、入学して間もない頃、なぜかクラスメートにおだてられることが多かったです。さらに学級委員への立候補まで囃され、「目立ちたがり屋」なところもある自分も、これは悪い話じゃないと思って乗りました。

しかし、HR担任の先生には「本当に大丈夫なの」と心配され、両親とは徹夜で論議になるなど、いろいろと面倒なことに。

結局、学級委員は自分には無理だということで、立候補を断念。

当時、クラスの大勢におだてられ「俺って人気者?」と調子に乗っていたが、とんでもない勘違いでした。この学級委員立候補の件で作った瑕疵が、のちに「いじめ」で苦しめられる一つの遠因だったと思われます。

そもそも自分は学級委員に立候補すべきでなかった。学級委員になるには、クラスの大多数の支持が必要で、リーダーとしてみんなの意見を聴いて調整し全体をまとめる能力が要求され、その責任は重いです。

「目立ちたい」のなら、他にできることがあるはずです。

自分に相応しいと思う役員を買って出る、日課の掃除を真面目にやる、明るい声で挨拶する、人を思いやり助け合う、何よりも勉強で良い点数を取る(苦手な体育なども一生懸命やる)。一見地味なことばかりですが、これらの日々の積み重ねを通じて、徳のある人間に成長し、良い意味で注目されるようになるでしょう。裏方に徹するのも全然悪くないでしょう。

高校の文化祭、大学の学園祭の実行委員会に買って出たのも、やはり「目立ちたがり」な動機も含まれていたようです。それも中途半端な努力に終わったことは重大な反省点です。高校・大学を通じて、勉強も部活もバイトも遊びも何もかも中途半端だったことは、とても不満でした(本業である勉強は一生懸命頑張ったつもりですが)。

* * * *

要は学級委員に限らず、組織のリーダーは楽でないということ(ゆるゆるの同好会的なモノは別でしょう)。自分の思いつきでほしいままに運営するなら誰でもできます。しかし、それでは人心は離れてゆくばかり。当の本人もやがて疲弊・消耗するでしょう。一番厄介なのは、「何をやっていいのかわからない」こと。上に立つ者は、メンバーの思いに寄り添い、共に励み成長するよう、率先して徳を積む修行が必要ですね。


私が大学・大学院生だった時代、時々「潜り」のようなことをやっていました。

大学で「潜り」という言葉も時々耳にされるかもしれません。「潜り」とは、端的に言えば、正規の履修登録をしないで講義を聴きに入ること。他大学・他学部の興味のある講義を聴いてみたい場合などに、「潜り」をしているという話は昔から時々聞きます。

「潜り」という語感からは、何かしら不法侵入の罪を犯しているようで、胡散臭いと感じるかもしれません。しかし、もともと大学は学問の自由と機会を万人に保障すべきだという立場から、「来るもの拒まず」の構えで誰もが自由に講義室に出入りできるようになっているものと思います(これが大学の良さなんですが)。むしろ「潜り」を歓迎する教授・講師も多いことでしょう。

しかし、近年出席チェックが喧しかったり、学内安全を理由に部外者の出入りも厳しくなっているようです。20年前に起こった大阪教育大附属池田小学校事件の影響などももちろんあるでしょう。いずれにせよ、平成バブル崩壊のあたりからか、大学の統制管理が徐々に厳しくなっているようで残念ではあります。

「潜り」行為について、正規の授業料を払って履修登録している学生の側からすれば、不満を感じるのも当然のこと。(始発駅の)ホームに並んで電車を待っている乗客が「折り返し乗車」の不心得者にムカつくのと同じ心理でしょう。

どうしても「潜り」をやりたいのなら、担当教官とコンタクトを取り聴講許可を貰うほうが無難でしょう(→ダメならあきらめましょう)。もちろん「潜り」の人間に単位取得等の権利は保障されないし、熱心に指導してもらえるわけでないと割り切りましょう。本来、科目等履修生として授業料を納めて履修登録するのが筋でしょう(履修条件を満たしているなら)。

大学教員は世間様の想像以上に多忙で、部外者の面倒まで見ている余裕などないはずです。「潜り」をやっていた院生当時の私ですが、専門分野転向のトリガーにしようと、ゼミや研究室から認めてもらいたいとの承認欲求や自己顕示欲が先走ってしまったのはまずかったです。これも結局のところ、「自分探し」「現実逃避」に他ならなかったと思います(さまざまなボランティア活動や社会活動に飛びついたのも、やはり「自分探し」「現実逃避」の側面が強かった)。

* * * *

自分の本業の専門分野以外のことを学んでみたいのなら、独学から始めるほうがよさそうです。独学が基本でしょう。そもそも高い専門性の求められる院生には、本来「潜り」などやっている余裕はないはず。

しかし、短い空き時間を使って独学することは可能でしょう。自分の場合は、特に大学受験レベルの国語や歴史公民を独学でやり直すのが先だろうと思っています。大学の人文・社会科学系の講義やゼミを理解するには受験国語・歴史・公民等の基礎学力・知識が前提でしょうから。

独学は当然のことながら孤独なもの。講義やゼミに潜って仲間に入れてもらい親睦を深めるのも良いですが、学ぶということは本来孤独なものでしょう。仲間と盛り上がったから自分は評価されたと錯覚する嫌いもあるが、それよりも大事なものがあるはずです。「孤独は力なり」ですね。


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3週続いて雨の日曜日になりそうです。

今年は2月中旬以降、寒暖の差は大きいものの暖かい日が多いことから桜の開花が早まり、4月に入るや散り初めに。先月末は3月とは思えぬ初夏の陽気が続きました。

一方、先月の下旬より毎週日曜は雨。今度の日曜も雨の予報で3週連続となりそうで少し不愉快です。新型コロナ第4波も顕著化しており、今週末大阪での感染者数は666人。「666」は陰謀を示す数であるとされており、3週続いての日曜日の雨も裏で何者かの作為が働いているようにも感じるのですが・・・。
 


時々「悪名は無名に勝る」という言葉を聞きます。

それは、

世に知られるきっかけが悪評であったとしても、まるで世に知られていない状態よりはずっとよい

無名よりは悪名高いほうが何かと有利である


といった意味合いで使われます。

現実にそれが当たっている事例も多いことでしょう。

* * * *

さっそくですが、私が運営している(複数の)ブログのことで最近気になっていること。

時々、細かい間違い等の指摘コメントあるいは茶化しコメントをいただくことがあります。記事本文の主張やアイデアに対して「非現実的にもほどがある」などともっともらしい物言いで腐すような書き込みもたまにあります。そんなとき、間違える自分が悪い、相手方が正論であるとわかっていても、正直不快感を覚えます。

しかし、物は考えようで、何らかのコメントが付くということは、それだけ自分のブログを熱心にご覧いただいているということでしょう。本来、間違い指摘や批判のコメントも有難く受け取り、そこから学び取るのが筋でしょう。むしろ間違いや突っ込みどころのあるほうが、かえって面白いと言えるかもしれません(あまり間違いが多すぎるのも問題ですが)。反対に、アクセス数が少なく鳴かず飛ばずの状態(1日あたり一桁~20以下)だと、やはり落ち込んでしまいますね。「悪名は無名に勝る」とは、このことでしょうか・・・。 玉石混交あれど”ウザい”ほどコメントが付くときが「華」なのかもしれません。「間違い指摘コメント」さえ付かないのも良し悪しですね。

ただ、コメントを受け入れべきかということも程度問題。単なる批判や否定だけの揚げ足取り、誹謗中傷、荒らし、意味不明な書き込み、記事本文の内容と明らかに無関係なコメント、その他質の悪いコメントについては、やはり真に受けるわけにはいきません。他の訪問者様にも不快感を齎すだけなので、管理人の権限で厳しく対処する責任があるはずです。

* * * *

当ブログでは諸般の事情により、コメント欄の機能を停止しています。状況次第で今後復活することも考えていますが・・・。




断り方 実践イメージトレーニング
http://route861.livedoor.blog/archives/8155033.html

に続き、さらに幾つかの実例と対応策を追加したいと思います。

10)有志の社会活動で日曜日はできれば休みたいが、「遊びに行く」と言うのも後ろめたいからと「県外のボランティアを手伝いに行く」と言ってしまい、同志の機嫌を損ねる

11)親戚の家に行くと電話したものの、バイクが故障したため到着が大幅に遅れてしまい、連絡無しに待たせてしまった

12)待ち合わせて車で迎えに来てもらうはずが、(相手方が)予定の時刻に遅れること何度もある

13)せっかく楽しみにしていたゼミ仲間でのテニス大会も、親戚の一人から「しばらく顔を見せてくれない」と電話で文句の一言を寄越され、泣く泣くキャンセル

14)歯医者さんの通院が長引いてストレスを感じる



10)あくまでボランティアなので、しんどかったら無理をせず休めばよいでしょう。ただ、「県外の活動を手伝いに行く」と言ってしまっては、「裏切り者」と見なされ、同志の機嫌を損ね顰蹙を買うのも当然のこと。

ここは仕事・バイトあるいは学校のことで忙しいと言うか、あるいは正直に「精神的に疲れてるので休みたい」と伝えても良かったように思います(それで嫌な顔をされる可能性もあるでしょう。その場合は「寛容性が低く余裕のない人間集団」と割り切ってしまってもよく、深入りすることもない)。仮病を使うのもよいが、バレないようにうまく演出する必要があります。

活動そのものが嫌なら辞めてしまってよいでしょう(これもなるべく穏便にやるほうがよい)。

11)親戚の人に「バイクが故障した」と言って余計な心配をかけたくないからか、何も連絡を入れないのはまずかったです。遅れそうになったら、「急用が入ったので遅れます、待たせて申し訳ありません」と連絡するか(中身は明かさなくてもよい)、あるいは日時を改めるなど機転を利かすべきでした。

12)11)とは逆の自分が「待たされる」立場ですね。同じ場所で待ち合わせして遅れるのも最初の一度や二度までなら許せるが、どうもこの車の人はカーナビを過信するほどの方向音痴なようで遅刻の「常習犯」であり困ったもの。遅延についての謝罪や反省の素振りも感じられませんでした。運転マナーも自分勝手丸出しですね。

こういうケースの人間関係に居合わせた場合、深入りせず縁を切るべきでしょう(この人のような社会意識の低い輩と付き合っても、自分が馬鹿になるだけなので)。それも、なるべく穏便にフェードアウトしていくのが大人の付き合いだが、あまりにもタチの悪い場合は無視する(携帯・メール・SNSも着信拒否)、絶縁状を(郵送で)突きつけるなど強硬手段に出るほかないでしょう(もちろん「殴る」などの暴力はいけません)。

13)親戚との付き合いも大切ですが、ゼミ仲間とテニス大会を楽しみにしているんだったら、そちらを選ぶ権利があるでしょう。

ここは、「明日はゼミの仲間と予定があるので」と断りつつ、話相手になってあげ、「わかりました、では来週○曜日の夕方行きます」と結べば良かったと思います。「寂しいんだね」と相槌を打つと同時に、丁寧に断ることがポイントでしょう。急ぎの用でもない限り、無理に予定を変えてまで親戚のところへ駆けつけても、ストレスやしこりが残り、お互いあまり嬉しくはないでしょう。訪問する際には、(お詫びのしるしも込め)手土産を持って行くと喜ばれるでしょう。

どうしてもテニスに気が乗らないのなら、親戚の用事を理由にキャンセルするという選択も正しいですが・・・。

14) 歯医者さんの進め方に納得ができないのなら、どこが悪くて治療にどれぐらいの時間がかかる見通しなのかを訊いてみましょう。自分はどのようにここで治療を進めたいのか、初診の時に伝えるべきでしょう。予約日時はなるべく変えないようにしたいですね(何かの都合で当日キャンセルすると、次の診察まで2週間ほど空くこともある)。どうしても早く虫歯を治してほしいのなら、他の「名医」を探し、保険外診療覚悟でMI治療などを受けるべきでしょう。



ボランティアについて、

 参加したいが何をやっていいのかわからない

 ボランティアは凄いことだが自分にはとても

 「自分探し」のためのボランティアは現実逃避でけしからん
 
 実際参加してみたものの、現場のニーズと噛み合わず迷惑がられる

といった話はしばしば聞かれることでしょう。


私も以前(主に学生時代の頃)、あれこれのボランティアに手を突っ込んでいた時期があります。自分もやはり上と同様の問題に引っかかりましたね。自慢できる特技もないし、コミュニケーションも苦手で、実際どう現場の役に立てたらよいかわらかず情けなくなるばかりでした。だんだん気まずくなって自信喪失に陥り、半ばうつ状態に。

* * * *

一つ「ボランティア」とは言えども仕事・活動内容はさまざま。誰でもできる簡単な作業もあれば、体力勝負の力仕事・重作業、専門的な能力・資格や経験の必要な仕事、語学力や特技を活かせる活動、コミュニケーションや対人関係・交渉力の要求される活動、その他いろいろあります。

誰でも簡単にできることで、かつ一番喜んでいただける活動といえば、現金の寄付ではないかと思いました。

街角やコンビニレジの募金箱に心ばかりの小銭を差し出すことは、一番容易いでしょう(もちろん詐欺的なものもあるので注意)。

被災地ボランティアに物資(食料・下着・衣類・日用品など)の寄付をされる人も多いでしょう。これは意外に難しいようです。寄付したつもりの物資が被災地の交通インフラが寸断状態ゆえ細る物流システムへの過剰「負荷」になったり、あるいはその品が現地で既に充足していてゴミ同然と化した余剰品処理に手を焼くという話もしばしばあるようです。結果的に被災地を助けるどころか、足手纏いで余計な迷惑を及ぼすことになり、「二次災害」を招いたとの謗りを受けかねません。物資を寄付する場合は、そのことも意識した気配り、的確なニーズを捉える注意深さが求められるでしょう。

それよりも、義捐金などの形で現金寄付するほうが容易でなおかつ喜ばれるでしょう。現金(貨幣)には価値保存の機能があり、本当に必要とするあらゆる商品(救援・避難物資)またはサービス(通信・インフラ・医療・福祉・土木事業ほか)と交換することが可能だからです。資金が集まればそれだけ復旧も早まるはずです。寄付金額は人それぞれ、無理をしない範囲で良いでしょう。

軽はずみで被災地へ救援活動に参加することも慎むほうが無難でしょう。被災地に家族・親戚や友人がいる場合は別です。危険を伴う作業も多く、水やガスも使えず食料入手の困難な被災地で寝泊りできるよう、自前の入念な準備が求められます。旅行やレジャーに行くのではありません。被災地での不自由な生活を最低1ヶ月は続けるだけの体力と覚悟が必要でしょう。健康管理もしっかりやること(体調不良の場合は参加を遠慮するほうがよい)。ボランティア保険加入は必須でしょう。興味本位での物見遊山的な行動はNG!

被災地に行かなくてもできることはあります。上記の現金寄付でも、被災地の特産品をネットで購入して応援することでも良いでしょう。あるいは復興後に観光旅行として現地を訪れ、楽しみながら地域経済に貢献することも、救援ボランティアの一つのあり方でしょう(せっかくなのでコンビニやチェーン店ばかりでなく、地場の商店で積極的に買い物して応援しましょう)。


何か不祥事や問題を起こした政治家・有名人・公人が緊急入院した、というニュースをしばしば見かけます。

その理由は大体お見通しであり、都合が悪くなったから病院に逃げているとしか思えないケースが大半でしょう。先の連休中も、カジノ強行をごり押しする横浜市長が成人式に出席せず、緊急入院されたというニュースがありましたね(そもそも、このコロナ災禍のもとで成人式を「強行」する横浜市政自体が問題だらけでしょう)。

公人が不祥事を起こして入院するということは、逃げていることと同義と判断され、人間として恥ずかしいことだと認識すべきでしょう。多くの場合、仮病なのでしょう。

一人仮病で入院すると、周辺にどんな影響が及ぶか。病院経営者にとっては確かに金銭的な恩恵はあるでしょう。しかし、仮病の人間が病床を無駄に占拠することになるため、本当に入院の必要な患者さんには迷惑千万にほかならず(助かるはずの命が奪われる可能性すらある)、現場の医師・看護師その他職員の方々から訝しげな眼差しを向けられることでしょう。まして、コロナ感染爆発で病床使用率がオーバーシュートするという現下だと、医療崩壊に加担していると痛烈な非難を浴びせられることは不可避でしょう。

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私も小学校の頃、魔が差したのか、あるイタズラをやってしまって親に怒られ、昼飯抜きの制裁を食らったことを思い出しました。これが私に厳しくて堪えがたいからと、「気分悪くなった」と仮病を使って赦してもらおうとしたが、今から思えば二重に恥ずかしいことでした。

自分のやらかした行動によって他の人がどれだけ迷惑するのか、あるいは逆に自分がやられる立場だったら、という思慮が弱かったのは、いくら小学生とはいえ・・・。本来、即座に自らの過ちを認め洞察して学び改めるべきで、それが以後の行動に結びついて初めて「反省した」と言えるでしょう(口先だけの「反省」ならサルでもできると言われますからね)。「気分が悪い」というのも、おそらく仮病とお見通しだったのでしょう。

小中学校時代、運動会の練習が嫌、プールから帰りたくなった時など、下痢や腹痛を訴えることもあったが、正直バレバレでしたね(苦笑) 仮病を使うのは悪いことではないが(たまに使うには良いでしょう)、バレないようにうまく演出しないと、後が大変です。仮病はできることなら使わないに越したことはありません。政治家や公人が仮病で入院など許されることでないのは、なおさらでしょう。


 年末(年の瀬)といえば、新年を迎えるための準備(年賀状、大掃除、おせち、・・・)で慌しいという印象があると思います。 もちろん、せっかくの冬休みだから旅行する、というのもありでしょう。私も子どもの頃、年末は家の忙しさから逃れてどこかへ旅行したいと思っていたほうですね。それでも、冬休みの旅行等は原則的に正月以降にするようにしていましたが。

大学前半の頃、敢えて年の瀬に東京へ旅行したこともありました。今から思えば、家族から顰蹙を買い、気まずいムードを作ってしまったようです(その原因も年末旅行だけのせいではないでしょう)。やはり身の程を弁え、周りの空気を読んで旅行の計画を立てるべきだった、と反省。おまけに大晦日の晩、親に進路や勉強のことを訊かれて無駄な喧嘩をやらかしてしまい、冴えない元旦を迎えることに・・・。

少なくとも旅行日を年明け以降にしておけば、それほど咎められることはなく、気持ち良く新年を迎えることもできたでしょう。年末(場合によっては正月も)はバイトで忙しくし、かつできる範囲で家の手伝いもしておけば、正月明けに旅行することに関して周りの理解も得られやすかったでしょう。

年末大掃除はぜひやるほうがよいと思います。一年間の煤を払い心を清めて新年を迎えたいものです。

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やはり学生時代を振り返って、余計なモノに誘惑されやすく浮気してしまい、勉強も部活もバイトも遊びも中途半端だったことを後悔(学業については力を入れたつもりですが)。バイトするなら目的意識を持って働く(それは学費を稼ぐことでも、キャリアアップでも、海外留学でも、起業することでも、鉄道旅行や車・バイクのためでも、何でもよい)。遊ぶなら徹底的に遊ぶ。どんなことに取り組むにせよ、自分に責任を持つ。

学生時代という自由なときだからいろいろやりたいこともあるが、いくら自由な時間が多いとはいえ、高々数年間限りのこと。あれもこれもは無理なので、「選択と集中」のほうが良いかもしれません。例えば鉄道旅行では、東京・信州・東北・北海道・九州ほか、あちこち回るのももちろんありだが、時間と予算が厳しいなら、年末年始はバイトで稼いで春休みに北海道(そして東北)をじっくり回るとか、あるいは思い切って外国へ旅行というのも良いと思います。

実を言うと、大学2回生ごろまでに日帰り可能な近畿・東海・北陸地方の国鉄・JR線にあらかた「乗り鉄」し尽くした時、虚無感みたいなものにとらわれたこともあります(笑) もし、「選択と集中」で戦略的に学生時代の旅行計画を立てていたら、また違っていたと思います。

旅行や遊びは社会人になってからもできるはず。確かに社会人は学生に比べて自由な時間は少ないけど、限られた休日に新幹線や航空機を使って遠方への旅行に出かけたり、皆忙しいなりにそれぞれ楽しみを見つけるよう工夫しているわけでしょう。

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せっかくなので、東京旅行のことをもう少し詳しく。

主な目的は「乗り鉄」でした。

クリスマスの翌日だったかな、夜に出発して東京(新宿)行きの高速バスで1泊。翌朝、さっそく「青春18きっぷ」の消印を入れてもらい、確か山手線を一周したあと、秋葉原で総武線(各駅停車)に乗り換え、関西の比ではない「通勤地獄」を体験。その後、京葉線~外房線~東金線~総武本線を回り、また埼京線・川越線などにも乗るが、どんな乗車ルートだったのかは忘れました。

都合3泊4日の日程で、最後は東京駅から大垣夜行増発便で名古屋まで車中泊。【ムーンライトながら】登場前でしたね。名古屋到着後、午前中は名古屋近郊のローカル線(武豊線、太多線)を回り、午後は関西本線を湊町(JR難波)まで乗り通しました。紀伊半島一周ももちろん可能だが、距離が長いゆえ所要時間もかかり、帰りが遅くなるので・・・。



過去30~40年以上の人生を振り返り、「断り方」で大失敗した数々の事例が思い浮かんできます。 反省の上、今の私だったらどんな断り方をするのか、イメージトレーニング(思考実験)してみたいと思います。

1)【中3時代】卒業式後の春休みにクラス内の友人グループAと宿泊を伴う旅行に誘われたが、私は気が乗らず

2)【高1時代】1)とは別の中3以来の友人グループBに映画に行こうと誘われるが、私は映画に興味が持てず、バレバレの嘘を使って断る

3)【中学~高校時代】家族そろってお出かけの時、私一人で別行動を取りたくて嫌がり、もめてしこりが残る

4)【20代半ばごろ】某資格講座の勧誘電話にうまく断れず、数十万以上の借金(ローン)を背負う

5)ある有志の社会活動の手伝いを辞めたかったが、代わりの人がいないようで辞めたら悪い気がして言いづらく、その後気まずい思いをしたりする


1)~3)は、私自身「ぼっち」のほうが好きだという点で共通していますね。それはそれで結構なことであり、「断ること」そのものも何も悪いことではないでしょう。断るときのポイントは、

○理由はなるべく正直に言う 詳しい中身は明かさなくてもよい
○誘ってくれたことへの感謝の一言を添える


を抑えておけばよいと思います。1)については「中学生の間、友達だけの泊まり旅行は親は認めてくれないし、俺個人的にも一人旅のほうが好きなので」2)「誘ってくれてありがとう。悪いけど、俺映画にあまり興味がないし、今一人でやりたいことがあるのでやめとくわ。俺の分も楽しんできて」とでも言えば、角が立つことはないでしょう。

3)の家族の誘いについては、少し特殊かもしれません。ここは蟠りは心の中に留め、なるべく一緒に同伴するほうが良いでしょう。家族揃って出かける機会もそう多くはなく、親や親戚もいつまで元気でいられるのかわかりません。年取ってから一緒に出かけたいと思っても、後の祭りかもしれません。職場の飲み会やイベントなども、会社主催のものなら基本的に参加するほうがよさそうです(あまり断ってばかりだと、職場全体に悪い印象を与えることになる)。

4)の勧誘電話について。「私は法律関係の資格や仕事に興味がないのでお断りします」と言ってしまえばよかったようです。仮に引っかかってしまったら、泣き寝入りする前に至急消費生活センターに相談することです。場合によっては警察にも届け出したほうがよいでしょう。

5)はあまり一般的な例ではないかもしれません。当時の私の立場では、「論文書くのに忙しく、バイトもやらないと経済的にしんどい。そのためにも睡眠時間を確保したいので」が一番無難な線だと思いました。あるいは、前もって「3ヶ月間(あるいは6ヶ月間)やってみて、続けられるなら続ける」と期間限定の条件を付けるのも一つの方法(これなら、期間を過ぎればあっさり辞めれるはず)。

実際、ここでバイトを辞めてしまったのは大きなミスでした(バイトは辞めなくてもよかった)。活動のほうも、(本当はバイトと同時にやめたかったが)うまく断りにくいからとサボタージュして無用のトラブルを作ってしまい、後々気まずさだけが残ってしまうことに・・・。

* * * *

ほかにもいろいろあるが、よくありがちなことを幾つか。

6)飲食店や散髪屋に入ったが混雑して待ちきれない
7)洋服屋さんで声をかけられるのが煩わしい
8)一気飲みを強要される


でしょうか。

6)は本来、順番が来るまで大人しく待つのが筋でしょう。ただ、どうしても急いでいる場合は、「また来ます」と言ってお店を去るのも有りでしょう。

問題は料理を注文した後ですが、会計はどうすればよいのでしょうか? やはり料理がテーブルに来るまで待つべきでしょうか? 時間的余裕の限られるランチタイムでこれだと困るんですが・・・。

お店を去る前に「あと何分ぐらいでできますか?」と尋ねましょう。その上で「どうしても急いでいるんで」と伝え、可能ならテイクアウトにしてもらえないかと相談してみて、埒が明かなければ、会計だけ済ませてお店を去る

なけなしの昼飯代がもったいないが仕方ないでしょう。そのお店を選んだ自分にも責任はあります。良心的なお店だったら、お詫びの一言を添えて「お代は結構です」で済むのだろうが、いずれにせよ料理人さんの苦労を台無しにし、農家さんが心こめて作り上げた食材を無駄にしたことになる。世界全体で食糧難や飢餓で苦しんでいる人々も多いのに贅沢な話ですね。そのことに無頓着で平気で忘年会予約をドタキャンする輩がニュース沙汰になったりしますが。

明らかにお店側のミスで注文が通っていないという場合は、その時点でキャンセルも可能でしょう。

7)これについては、「ヘッドホンを付けて聞こえないふりをする」人も多いようですが、私個人的におススメできません。「一人でゆっくり見たいので」「また何かあれば声をおかけします」が一番無難だと思います。買わない場合も、「ありがとうございました。また来ます」と伝えてお店を去るようにすれば良いでしょう。ユニクロなどファーストファッション店では、基本的に声かけはないので、買い物しやすいですね。

8)「一気飲み」の断り方としては、「私酒に弱いのでウーロン茶(コーラ)で」「次の日、朝予定があるので」「終電が早いので(家が遠いので)お先に失礼します」ぐらいが丸く収まるでしょう。

* * * *

最後にもう一つ追加。

9)中学の掃除の時間、友人に誘惑されてサボることもあった

「ダメなものはダメ」とはっきり断ることでしょう。「掃除サボると内申書の点数にも響くので、損ですぜ」と言ってやればよかったですね。実際、担任の先生に注意されるし、先生の心象がそのまま内申書に反映され、その後の進路に影響する可能性もあります。


私の青年時代、こと中高生の頃を振り返ってみて、特に弱かったと思うこと。

それは、

表現力

ではないか、という気がしました。

自分の意思表示をすること、特に「断る」ことが下手くそだった。今から思えば恥ずかしく勿体無い事例を敢えて挙げてみると、

1)連れに映画に誘われるが気が乗らず、バレバレの嘘をついて断った
2)夏休みが天候不順でろくに楽しめなかった欲求不満を発散しようと、教室の黒板に意味不明なことを落書きする
3)せっかく好きな数学を深めたいという熱意も、世間様一般には理解してもらえず、具体的な行動にも結びつかず空回り


ぐらいでしょうか(他にも心当たりはいっぱいあるが)。

これらの事例も、詰まるところ「表現力」の問題に収斂されそうな気がしています。



1)の映画の誘いを断った件は、やはり即バレしそうな嘘を理由にするのはまずかった。それよりは、「俺、どうしても一人でやりたいことがあるので」と言って断るほうが良かったと思っています。

確かに「映画に興味がない」とは言いづらいでしょう。かといって、下手な嘘を言って断るのは、せっかく誘ってくれた友達の機嫌を損なうことになるばかりか、「下手な嘘ばかり言って頭が悪い奴」といった評判や噂が立つ可能性もあり、バレた後がとても厄介です。

ここは、特にもともと「ぼっち」の好きな私個人の場合、「どうしても一人でやりたいことがある」などと言ってしまうほうがよいでしょう。その具体的な中身は言いづらかったら別に明かさなくても構いません。ただ、誘ってくれたことへの感謝の一言は忘れないようにしましょう。



2)と3)は直接の関連性がないと思われるかもしれませんが、実は「表現力」という意味では深い関係があると思っています。

そもそも意味不明な落書きをすること自体、餓鬼っぽくてダサい。もっとうまく自分を表現できないものか、と叱られそうですね。実際、クラス担任の先生に事情聴取されたり、中学以来仲の悪い女子グループたちから野次が飛びましたが。

せっかく数学が好きで、それを生かして自分の表現を魅力的に高めてゆくポテンシャルを持っているのに、子どもっぽい落書きをやらかして論われるとは、実に阿呆らしい話。

数学それ自体の件にしても、学校の数学の授業あるいは受験数学の範疇にとどまり、そこから独自の豊かな数学世界に踏み出すためのきっかけを掴めなかったのは遺憾でした。

実を言うと、数学関係の部活があればなどと思ったこともあるが、周りの人からまともに相手にしてもらえず、「無いものねだり」でしたね。そりゃ、運動部とは違って、単なる学校や塾の授業の延長のようなものだったら、皆嫌がるでしょう(笑) 生真面目な私個人としては、大学・大学院のゼミのようなスタイルのものを理想としていたが、なおさらでしょう(そんな出来もしないことに無駄なエネルギーを使うより、普通の中高生と同様に遊んだほうがはるかに生産的でしょう。というか、本当は私自身も「人並み」程度に遊びたかった)。

では、実際どうすればよかったのか。

インターネット黎明前の昭和~平成初期(~1990年代前半)の当時は、自分でその可能性を見つけるのは難しかったのかもしれません。ただ、図書館で興味の持てそうな本を探しまくって面白いネタを見つけることはできたはず。もっと図書館を有効に使うべきでしたね(ただの自習室として使うだけでは勿体無い。実際自習を禁止している図書館もある)。

数学を生かして自分の表現世界を高めてゆけるものと言えば、コンピューターゲーム、コンピューター・グラフィックとか折り紙などが思いつきますね(当時はそれさえ思い浮かばず視野狭窄だったが)。要は特技に結び付けてしまい、趣味を広げること。

一番手軽に始められるものとしては、折り紙でしょう。そこらの文房具売り場で100円で買えますね。色とりどりの正方形の紙を心の赴くままに折り曲げ、その中に秘めている無理数(√2、√3、π、・・・)の美しい姿を体現化してみるのはどうでしょうか。あるいは難しい数学とかややこしいこと言わず、勝手に作っていけばいい。こんな楽しいこともあるのに、夏休みに雨ばかりで自転車で遠出できないなどと腐っていては損ですね。折り紙で美しい魅惑的なものを沢山作ることで、女子にモテるようになるかもしれません(笑)

家にパソコンがあれば、コンピューター・プログラミングを勉強してグラフィックに挑戦していたかもしれません。ただ、当時、パソコンといえば主力のNEC・PC98が数十万円と高価で、そう気軽に買えるものではありませんでした。加えてマシン及び周辺機器のセットアップ自体がなかなか難しく、素人にはハードルが高かったです。パソコンが一般家庭に普及するようになったのは、革命的なOS・Windows95の発売と合わせインターネットが広がり始めた頃でしょう。それまでは大阪日本橋の専門店などで買うしかなかったけど、1990年代終わりごろには地元の家電量販店にも並ぶようになって驚きでした。

当時、家庭ではファミコン(ゲーム専用機)とワープロ(文書編集専用機)が一般的でしたね。私もファミコンは欲しかったんだけど、残念ながら買ってもらえませんでした。

* * * *

表現力を高めるのなら、やはり国語をしっかり勉強することでしょう。そう、「自分の表現力高めたい」というモチベーションこそが、言葉や文学に興味を持ち、国語力を高めるポテンシャルなんですね。大人たちから「読書しなさい」とうるさく言われるだけでは、やる気起きないでしょう。

それと、対人関係、相手の心理にも興味を持つこと。自分の言動が相手にどう見られるのか、を日頃から意識するように心がけることです。断る時には相手の機嫌を損ねないよう、感謝の意を添えながら丁寧に伝えること。「誘う側」の立場として、断られたらどんな気持ちになるのか、考えることですね。繰り返すが、即バレしそうな嘘を「断る理由」に使うのは避けるほうが無難です。嘘を使うのなら、辻褄合わせに困らず、リアリティのあるものを考えましょう。それも表現力の一つでしょう。

「相手にどう見られるか」という意識は、ファッションセンス(おしゃれ)を磨くにも大切なことですね。ファッションセンスも一つの表現力と言えます。自分をカッコ良く見せることはもちろん、雰囲気や場面に調和するように適切なものを選び、整えること。何も華奢で華美なモノにこだわる必要はなく、清潔感を保ち、状況(季節・場所・場面)や年齢に合わせてごく普通のものを大人っぽく着こなせばよいでしょう。着合わせの配色が重要なポイントでしょう。


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